出会った橋ー四国遍路-4

 四万十川は"日本最後の清流"とか、静岡の柿田川、岐阜の長良川と並んで"日本三大清流の一つ"として知られているが、科学的には際立って水質が良いわけではないらしい。

余談はさておき、3月10日、マリリン・モンローに出会える三十七番札所岩本寺から四国最南端足摺岬の三十八番札所金剛福寺の80kmのほぼ真ん中で四万十大橋を渡る。橋の上からは清流の真価は味わえないが、対岸に渡って振りかえって見た眺めはなんとも言えぬ清々しさを感じさせられた。雲ひとつない大きな空、澄み切った空気、広々とした河川敷、そしてカモメらしき鳥が横一線になりこちらに向かってくる。

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かつては河口の下田の渡しで川越えをしていたらしいが、1996年にこの橋が架かった影響で2005年に渡しは廃止された。その後地元有志「下田の渡し保存会」により2009年に渡しが再開されているらしいがガイドブックには記載されていなかった。知っていれば渡し舟を選択していた。

橋と言えば、あの「沈下橋」は四国の各地で見られるらしいが、ここ四万十川流域にはなんと47箇所もある。それを巡るだけでも愉しい旅ができそうだ。それにしても個人的ではあるが、「沈下橋」はいかにも四国の橋と言う感が拭えない。

ーー沈下橋に興味をお持ちになられた方は「四万十川沈下橋すべて見せます」でググってみてください。四万十町の公式You Tubeチャンネルで動画を見る事ができます。私感ですがデザインされた橋には見られない柳宗悦さんの言われた"用の美"を見た気がしました。ーー

 

愛媛県を歩き通し、3月26日の正午過ぎに空海の生誕地の香川県善通寺市に入る。同行していたお遍路さんは先に進んだが、私は金毘羅さんには寄り道したいと七十五番札所の宿坊に宿を取った。昼食後JR土讃線金刀比羅宮に向かう。785段の石段を往復し本宮にお参りを済ます。更に583段の往復をプラスすれば奥社にもお参りできたが、長旅の疲れと宿の夕食時間を考え遠くから手を合わせた。門前町を横切る金倉川を越えながら右に眼をやると,古風な屋根のかかった橋が目に入った。

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近寄ってじっくりと見ようと思ったが、ここでも遠くから眺めるにとどめた。後日インタネットで調べているうちになぜもうひと頑張りしなかったのかとの思いを強くした。

珍しいアーチ型の切妻型の銅葺き唐破風屋根で、その反り具合から"鞘橋"と言われている。膝栗毛にも「上のおゝう屋形の鞘におさまれる御代の刀のようなそりはし」とある。普段は立ち入ることはできず、金刀比羅宮の御旅所で行われる年三回の祭典にのみ使用される。 

屋根付き橋は雨や雪からの保護で三倍くらい長持ちするそうだ。屋根付きの橋といえば映画「マディソン郡の橋」やフィレンツェのポンテベッキオを思い出す。日本にも100箇所くらいあるそうだ。アメリカでは木材が入手しやすいため2000基くらいあるとか。

 

危惧していた途中リタイアーは何とか回避し、3月30日結願の寺八十八番札所を打ち終えた。念願であった一人旅の歩きによる通し打ちの達成は、我にとっての大きな区切りとなった。振り返ると37日1400kmの永くて短い旅であった。

その後弘法大師が入定した高野山奥の院へのお礼参りに向かった。大阪までのバス旅である。途中、1629mの鳴門大橋、そして工費5000億円吊り橋世界最長3911mの明石海峡大橋を渡ったが、心地よい眠りの中で見た夢の架け橋であった。

 

人は直立二足歩行をします。歩行中の大部分の時間は、片脚のみでの接地になるため、実は不安定な歩行様式です。このため歩行は全身運動になるのです。足首と膝、股関節の曲げ伸ばしと足の蹴り出し、腰の捻りから腕の振りまで、時間的、空間的に精密に制御されています。このうちどの要素に異常が生じても、敏速で効率のよい歩行ができなくなり、転びやすくなります。高齢化とロコモ*は'このように密接なつながりをつながりを持っています。      *ロコモ:運動器の機能不全

               「老活の愉しみ」  帚木蓬生/朝日新書

 

  永かった梅雨がやっと明け、青空の下を歩いている。ある朝、面白い雲に出会った。雲の名前や天気の前兆には殆ど興味を覚えないが、立ち止まってしばらくその姿に魅入っていた。

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アレ!いつか何処かで出会ったことがあるぞ!そうだ、三年前に歩いた「塩の道」で出会ったあの風景だ!大袈裟かもしれないが峰々に残雪を抱いた北アルプスの眺めだ!

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