出会った橋ー四国遍路-1

先日、図書館から「世界の橋の秘密ヒストリア」と題する本を借り出した。世界各地の橋梁を写真付きで解説したものである。スケール、構造、デザイン、そして歴史等々詳細に述べられている。しかし、ページをめくっているうちに、どうも期待していたものと違うなと思うようになった。内容は素晴らしいものの自分との接点が見出せないことにあると思い至った。

私はここ数年の歩き旅で様々の橋を渡り眺めてきた。多くは片田舎の普通の橋である。写真と言う記憶の引き出しから手招きをしている。そこで、その引き出しを開けてみることとした。

定年退職後、第二の職場で都市開発と言う願い通りの業務を担当した。しかし、数年後に左膝に異常を覚え、歩行に困難を感じるようになった。止む無く職を辞し治療、リハビリに専念することとした。リハビリの効あって3年後には100%とは言えないが、普通の歩行が可能となった。そこで、回復の度合いを確かめる意味も含め、一度は諦めていた四国遍路への挑戦を思い立った。そして、2012年2月23日第1番札所霊山寺の門前に立った。70代と言う年齢も考え途中リタイアも辞さずの覚悟であった。これが、その後8年間の国内外の歩きによる一人旅のスタートとなった。

前置きが長くなったが橋をKEYにしてその記憶を引き寄せる。読んでいただく方には私が前述の本に出会った時と同じ思いをされるかもしれません。その時は遠慮なく電源をOFFにして下さい。 

遍路2日目は温泉付きの宿第6番札所安楽寺から第11番札所藤井寺に向かう。久しぶりの長距離歩行に疲れを感じるが順調にお詣りを進める。10番札所切幡寺を出て四国三郎と異名を持つ吉野川近くに至り右腰に痛みを感じ出した。左膝を庇う為、無意識に右側に重心を片寄て長距離を歩いた来たせいらしい。痛みを和らげるべく左脚を蹴りだす様に歩き出したせいか、真っ直ぐ歩いているつもりが左方向に進んでいる。少し歩いては休んで方向修正をする。吉野川にたどり着きそこに架かる橋をやっとの事で渡りきり、対岸の土手に登り座り込む。少し落ち着いて橋に見返すと二人連れのお遍路さんが歩いて来る。そしてその橋にはコンクリートの床版はあるが欄干が無い。

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後で調べると橋の名は川島橋。地元では潜水橋と言われている沈下橋で洪水時に水面下になる。因みに吉野川は日本三大暴れ川言われている。納得!

かつては少し下流に渡し舟道があったそうだ。交通事情により架橋するにあたって工事費低減、工期短縮等の為、広い河川敷の水流のある部分のみにシンプルな橋を架けた。欄干が無いのは洪水時に流木等で橋が破壊されたり、川がせき止められ洪水発生を防ぐ為という。四国では多く見られるらしい。

橋の能書きはここまでにして、その後右腰の痛みは不思議と収まり無事宿舎のふじや本家旅館に到着した。そして翌日の最初の遍路ころがしの山越えに備えて夕食後早々に床に就いた。この橋が私の記憶に強く残っているのは

遍路道の橋の上では杖をついては金剛杖をついてはならないと言われている。橋の下では弘法大師が休んでおられるからである。その言い伝えを守って両手で杖を抱えて橋を渡った。その痛々しい姿をお大師様が目にして私に痛み止めのお慈悲を与えてくださった。と、始まったばかりの遍路の今後の道程を思い、信仰心の希薄であった私が仏に思いを強く致した瞬間であった。

続く

 

リアルな体験をしない限りどうしてもつかめないリアルな現実というものがある。旅というのは、そのリアルな現実認識に不可欠な一つの手続きなのである。旅という作業を経ないかぎり、われわれは肉体に付属している「全方位的・全感覚的リアルな現実」認識装置を現場に運ぶことはできないのである。

        「思索紀行  僕はこんな旅をしてきた」 立花隆/ちくま文庫