三田再訪

都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅に降り立ち、神明坂を南に進み日向坂を渡ると右側に濃い青味がかった色の塀が続く。その片隅に薄茶色で正方形の陶板が目に入る。近づくと御幣を担ぎ烏帽子を被った猿のレリーフ

 f:id:peregrino:20191129145137j:image

疑問を抱えながら先に進むと鉄製のゲートがあり、そこにはオーストラリア大使館の銘板がある。和の風貌の猿とオーストラリアがどうしても結びつかない。疑問を抱えながら目を左に写すと、建物の大理石の外壁に向かいの建物と樹木が見事に映り込んでいる。最近ハマっている街中の虚像収集でやっと満足のゆく逸品?をゲットできたと感じた。今日の目的地は三田四丁目の寺町であり取り敢えず先を急ぐ。

f:id:peregrino:20191126082617j:image

慶應義塾大学が企画した同大キャンパスツアーに引続き、今回は「寺院再訪:寺町の形成と変容」と題するレクチャー・見学会である。希望者三倍の難関を潜り抜けての参加である。

f:id:peregrino:20191126083431j:image

先ずは、浄土真宗の明福寺で慶大上野准教授のレクチャーを受ける。概略、中世の江戸氏に始まり太田道灌、北条氏配下の遠山氏と築かれてきた江戸の街。徳川氏の天下普請の首都づくりによる江戸城の拡張に伴い、寺院も城下外殻部に移転し、寺町と呼ばれる特定宗派に限定されない諸宗派が並存する寺院密集地区が形成された。三田寺町は江戸時代末には50ヶ寺あったが、現在もも32ケ寺残っており港区最大の寺町との事。

f:id:peregrino:20191126091150j:image

f:id:peregrino:20191126091229j:image

明福寺中根19代住職によると、城下外殻部の台地上と言う立地から大火・震災・空襲といった大災害を回避し、本堂は1799年の建立時のものであり、多くの関連資料等も残されているとの事。素晴らしい襖絵(パンフレット)も残っている。内観の写真撮影はOKであるがSNSはNO。外壁は火災に備えてか珍しく漆喰塗りである。

f:id:peregrino:20191129153238j:image

引続き近傍の禅宗曹洞宗玉鳳寺に場を移し、昼食後に村山住職の話を聞く。

f:id:peregrino:20191126084128j:image

曹洞宗のモットーは"政治・権力に近づかない"。その為か、総本山永平寺福井県永平寺町。因みに駅伝や野球で名を聞く駒澤大学曹洞宗の流れを汲んでいるそうだ。全国7万ヶ寺の内曹洞宗は1万5万千と最多。この辺りは地上げが進み、300の檀家はバラバラになり今や歩いて行けない。その内約50は後継なしで墓仕舞いが進む。年に約5%のお宅で葬儀がある。敷地は約300坪。地価は約550万円/T。営利業に一部転用している寺もあるが、年に約5%の葬儀があり何とか持ちこたえているので税金の事を考え思いとどまっている。・・・・と世相談義が続く。墓地には当時宝塚のトップスターでありながら日航ジャンボ機墜落事故で亡くなられた檀家の北原遥子さんがモデルの「美耀観音」が鎮座し、宝塚同期の黒木瞳さんが今でも毎年訪れているそう。ひょっとして・・・

最後に参加者が揃って般若心経を唱えてお焼香をしたが、私にとっては200回以上唱えた2012年の四国八十八ケ所巡礼以来の般若心経であった。

退出時に子供姿の六地蔵が目にはいり、その仕草につられてパチリ。

f:id:peregrino:20191126084717j:image

更に、同じく禅宗臨済宗の龍源寺に移る。本堂はRC造に建て替えられている。「自分の内なるものに尊のとうとさを見出せ」との事。宗派の違いなのか住職の性格なのか、ここでのお話は控えめで余り印象に残らなかった。因みに十五派の本山が有り、京都花園の妙心寺大本山である。境内には樹木が生い茂り荘厳な雰囲気が漂っていた。ここにも六地蔵がひっそりと佇んでいた。

f:id:peregrino:20191126084545j:image

そして表面を磨き上げられた石のテーブルに・・・・・・

f:id:peregrino:20191126084610j:image

この辺りは良い檀家に恵まれているのか、 訪れた各寺では隅々まで手入れが行き届いている様に見受けられた。

今回は、宗教そのものでなく寺町に焦点を当てた江戸城下の形成の一端に触れることができた。観光寺でなく、地域に根付いた普通の寺院に接する事により、真の仏教に少しながら近づけたと感じる。

 

猿の疑問は後日・・・・・・・・

 

写真に対しては、誰でも写すことができる本来の意味は、簡単に撮れるメカニズムを超えて、体験や思いを拠り所にその人なりの感受性で世界をつかむレッスンなのだという誇大妄想を抱いている。

             「誰をも少し好きになる日」鬼海弘雄/文藝春秋