究極のサイン

 先日、東京都写真美術館から東京都庭園美術館へと裏道を通ってハシゴをしていて、以前紹介したものに出会った。

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これを何と呼べば良いか。私にとっては国内で出会った究極のサインである。最初に出会った時暫く考えて"子供達が通学で通ったり遊んだりしています。狭い道路なのでその事を配慮の上通行をお願いします。"と自動車のドライバーや自転車通行者に協力を依頼していると理解しました。直接的な注意喚起ではなく通行者に一瞬の思考の上、指示ではなく自主的な行動を促している。

 

サンチャゴ巡礼路にも究極のサインがある。黄色の矢印である。極論すれば、単なる矢印のサインを追って行けば地図やガイドブックもなく、現地の言葉や英語が話せなくとも、無事?1,000km先の聖地に到着できる。黄色は視認しやすい色で遠くからでも目に付きやすい。

"ポルトガルの道"の出発点はリスボンの大聖堂。扉口を出て周りを見回すと柱の足元に控えめに矢印を発見。うっかりすると見逃してしまいそうだが、見つけた時の気持ちは安心を超えた喜びを感じさせる。

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目の前に今日の宿泊地アストルガの街が展開する。その視野の中に進む方向がシッカリと刻印されている。しかし、自己主張せず遠慮がちに景観の中に収まっている。

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"銀の道"はアンダルシアに発する乾いた道である。レコンキスタの痕跡である崩れゆく砦の傍にもひっそりと 黄色い矢印が佇んでいる。

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遠い昔ローマ軍が進んだ石畳の道でも矢印が進むべき方向を示してくれる。

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多くの巡礼者を導いたであろ列を成す石にも矢印が付け加わった。

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集落に入ると途端に目に入る情報が氾濫し、頼りとする矢印が埋もれてしまいがちである。しかし、チョット注意を集中すると視野の中に入って来る。

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多くは手書きであるが故に目立ちはしないが目に入る。"北の道"で陶器に焼き込んだものをみかけたが、手作り感にあふれるものであった。

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 フランスの"ル・ピュイの道"では白赤白三段のサインが進む方向を示してくれた。先方で左右に曲がる場合には下側の白が折れ曲がり先が尖っていてそれを認識させる。流石フランスとセンスが伺われる。

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赤が効いて遠くからでもはっきりと認識出来たし、突然出会った積雪の中でも見逃すことは無かった。

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帰路に立ち寄ったヴェズレーでも偶然このサインに出会った。そうです。そこはフランスにおける巡礼路の一つ"ヴェズレーの道"の出発地だった。並列の黄色のサインは巡礼路以外のトレイルのサインであるが、疲れてくるとうっかりそのサインに導かれそうになる。

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これらのサインは本来の道案内の目的は当然ながら、風景の中に溶け込んでいて宝探しを楽しませてくれる。歩けど歩けど次のサインが現れない事がある。ミスしたのではないかと引き返そうとした時、遥か前方にサインらしきものを発見。その喜びは何にも代えがたい安息と活力を与えてくれる。

 

熊野古道を歩いた時、似たようなサインを見かけたが全く違うものであった。

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