フランスの最も美しい村ーNavarrenx
ゴール真近、29日目の6月6日(水)。3日連続の30kmオーバーのウオークで宿泊地であるNavarrenxナヴァランクスに到着した時は既に6時半を過ぎていた。だが、迎えてくれた並木が疲れを忘れさせた。
現在の要塞都市は16Cにできあがったが、その端緒は1Cまで遡るとの事。前回のMontreal同様新都市"バスティード"である。周囲は全長1,657mに亘る堀と城壁が巡らされ函館の五稜郭を思わせる。
吉村氏は「スペインとの国境に近いピレネー山中に位置する村」と素っ気なく紹介しているが、ピレネー山中から丸太を運び出すオロロン川の河港として栄えた事も踏まえると期待を抱かせる。宿に到着後、先ずは街の全貌を把握すべく今は緑地になっている堀に降り街を一周する。
城壁の石垣には築造に際し刻まれたものらしき痕跡も見受けられる。残念ながら意味は分からない。
城壁越しに住宅の屋根が覗き見られる。日本の城と異なり領民も共に城壁内に居住していたようだ。現在も1,000人強の人が居住している。
要塞内には何に使われたか分からないが建造当時の建物も残されている。
住宅は屋根の端部が軽く反り上りメルヘンチックな佇まいである。ここでも残念ながら何故なのかは確認できず。
ゴシックのサン・ジュルアン教会では巡礼者の守護者聖ヤコブに出会った。日本の修験道の開祖役小門に似た風貌である。
ローマの遺跡らしきものも残されている。
水曜日には市場が開かれていたらしいが、到着が遅かったために既に跡形なし。残念ながら生活の一端を伺うチャンスを逃してしまった。
巡礼路で唯一日本語が通じるとして紹介されていた宿を予約した。日本人がボランティアで働いていたとの事であったが既に帰国していた。しかし運営者自身は日本語は話せなかったが、すっかり日本にはまっていた。
この宿については後日詳しく紹介する。
翌日宿を出て暫く進むと、眼前に残雪を頂いたスペイン国境のピレネー山脈が現れた。
ところで、先日BSプレミアムの「一本の道」シチリア編の再放送を観た。途中NHKの女性アナと案内役の地元の女性が広大な麦畑の中の雨上がりの泥濘の道に難渋する。案内役のイタリア人曰く「嘗て、ローマ人が森林を切り拓いたが、粘土と石灰の土壌のお陰で大きな恵みを享受続している。」
私も泥濘の道に度々悩まされたが、歴史的地理的背景を知らない私は只々黙々と歩き続けるばかりであった。