Le Puy-en-Velay

2012年初春、私は四国八十八ケ所の巡礼路を歩いていた。それまでの三年間左膝の故障でリハビリの日々を過ごしていた。7割方の回復を果たしその実感を得る為、兼ねてから我がウオーキングの最終目標としていた八十八ケ所に挑戦した。行けるところまで行ければいいやと覚悟しての出立であったが、幸いにも完歩することができた。その後、本屋で「聖地サンティアゴ巡礼」(ダイヤモンド社)を目にし、無謀?にもその秋には"フランス人の道"のスタート地フランスのサンジャンに立っていた。いろいろな面でハードな旅であったが、無事聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂を目の前にすることが出来た。しかし、その時正直なところ何かを成し遂げたとか何かが得られたとかの実感がわかなかった。そして、年が変わると"ポルトガルの道"を歩き、更に年が変わるごとに"北の道","銀の道"と歩いた。結果は同じで、その後体力、気力を考え、国内にシフトし"熊野古道",塩の道"を歩いた。

ある時、サンティアゴ巡礼のルート図を見ていて、巡礼路はスペインに入るまでにヨーロッパ各国に網羅されている事に改めて気付き、隣のフランスを歩けば何か変化を感じられるかとの思いに至り、多少の不安を感じながらも"ル・ピュイの道"へと出かけた。

スタートはLe Puy-en-Velayで、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 オート=ロワール県の人口2万人弱の県庁所在地。

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 5月9日早朝、ノートルダム大聖堂(写真右端)でのミサに30名弱の巡礼者が参列。後で分かったが殆どがフランス人で国際色豊かであったフランス人の道と雰囲気が違う。終了後司祭から出発に当たってのお話があったがフランス語のためほぼ理解不能。途中で"ジャポネ"が耳に入った。近くの人に何を言っているかを英語で尋ねると「日本人が参加しており、彼はオンリーワンである。」との事。そしてその場の人達に紹介された。お陰げで途中で出会う巡礼者から屢々声をかけられた。へそ曲がりである私の座右の銘は恥ずかしながら"群れず媚ず"であり、司祭の言葉は私にとって大きな喜びであった。

その後、参列者は次々と巡礼のスタートを切っていった。

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私は昨日国鉄のストの影響で到着が遅れ、訪問できなかった岩上のサン・ミシェル・デギレ礼拝堂(写真左端)へと向かった。なんとこの岩の塊は嘗てマグマが噴き出した火山。この辺りにはこのような岩山が散在しているが、単成火山群と言われ一度だけの噴火が連続しこのような地形を造ったのだそうだ。Le Puyは噴火が収まった後に人が住み着いてできた街で、辞書を引くとpuyは山丘とあった。因みに、日本の火山は同じ所で何度も噴火した複成火山とのこと。

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 268段の階段を登ると頂上に12Cに建てられた礼拝堂。中に入ると壁面いっぱいにフレスコ画が残されている。柱は溶岩の玄武岩を削り出したもの。出発の時間を忘れ暫くの間時を過ごし、その後フランスで初めての永い巡礼の旅へとたびだった。

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