愚者の歩み
賢者は原点をしっかり見つめている。富士山をのぼるのに、海抜零から足でしっかり登る。
今の世間では富士登山をするのに、五合目までは車で行くものが多く、五合目から始まって頂上へ歩くことを富士山制覇と云っているらしいが、3776メートルの富士山の、五合目は既に2400メートル。1300メートルしか歩いていない。この後更に文明が進めば、六合目までエスカレーターが出来たり、七合目にヘリポートが新設されたり、それを文明の進歩というらしいが、上に行けば行くほど視野は狭まり、頂上へのルートの選択肢は少なくなる。
真の賢者は決してそういうことはしない。海抜零の駿河湾からトコトコ地味に登って行くのである。 「愚者が訊く その2」 倉本聰 林原博光 双葉社
長々と引用したが、著者が賢者と認定した人々へのインタビューの"はじめに"の一部である。
私はどちらかと言えば愚者に属するが、私にもこの一文に通じるものがあると思っている。この一文に異論のある方もあり、私が著者の言わんとしている事を理解していないと言われるかもしれない。
これまで数回サンチャゴ巡礼路を歩いたが、どうもやり遂げたと言う実感が湧かない。
最初に歩いた「フランス人の道」のスタートはフランス側のピレネー山脈の麓のSt Jean Pied de Portであった。そして、無事目的地のSantiago de Compostelaに到着した。その時の希薄な達成感については以前述べたと思う。それは巡礼路を完歩したとか、聖地に足を踏み入れた事よりも、三十数日の歩みの1日1日の方により大きなものを感じていたからであった。
そして現在に至って改めて気が付いたことがある。出発地で振り返るとそこにも道があった事である。しかし、私はその時その道には全く気がついていなかった。 続く
<スペインのサンティアゴ巡礼路> 作 池田宗弘