引用の断片

最近申し訳なくも他人の文章の引用に堕している。今回も池澤夏樹さんの「叡智の断片」(集英社インターナショナル 2007/12/19)から。まずは自戒の念から

  

引用というのは自分の意見を飾るために叡智の断片を借りることだから、意見を言わない国では使い道がない。日本人は好みは言っても意見は言わない。異を唱えると角が立つから、議論は避ける。なるべくなめらかに、他人と正面からぶつからないようにして生きる。

 

そして理解しがたい突然の衆院選に直面して

 

選挙の立候補者というのは最も意見を言わなければいけない立場なのに、ひたすら「お願いします」しか言わない。政策ではなく人格を売り込んでいるみたい。

今の日本には、覚えていて引用するに値する発言が少ない。最近、政治家が言ったことで感心したことがあっただろうか?失言はしても発言をしないのが日本の政治家。小話にもならない。

もちろん日本人にだって意見がないわけではない。しかしその意見はふだんから小出しにして、互いにすりあわせ、大きくぶつからないように調整してある。従って、誰か一人の意見によってことが決まるわけではないから、失敗に終わった時も責任を取る必要がない。「和を以て貴しとなす」とはこういうことなのだろうか。

 

そしてもう一度自戒の念から

 

引用とは自分では思いつけないような気の利いた言葉を他人から借りることである。「たくさん引用を用意しておくと、自分でものを考えないで済むの」とイギリスのミステリー作家ドロシー・セイヤーズは言った。

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