出会った橋ール・ピュイの道-15

6月5日、ゴールに近づきこの辺りに来るといわゆる観光的見所は少ないが、特色のある 宿に出会える。本日の宿はArthez-de-BearnのBoulangerie Brousseである。つまりパン屋さんの宿である。丘の上の集落に入りパン屋を探すがそれらしい建物が見当たらない。や…

出会った橋ール・ピュイの道-14

6月1日、「最も美しい村」Montreal-du-Gersを通過する。この村まちは12〜13CにできたBastidと呼ばれる当時の新都市である。ローマ時代から人が住み着き、自然発生的に集落が形成されてきたフランスの片田舎で、このような計画的なまちづくりはまに”新都市”で…

出会った橋ール・ピュイの道-13

巡礼路には色々な宿があるが巡礼者はほぼGIteを選ぶ。家族経営の小規模の宿で日本の民宿にあたる。ベッドは蚕棚であるが、素泊まりで€15前後、二食付きで€30前後と長期の旅でも大きな負担にならない。地元の方との接点になるし、何よりも巡礼者同士の情報交…

出会った橋ール・ピュイの道-12

5月30日、広大な麦畑が続く。比較的平坦な微高地のためアクセントになる橋には縁がない。麦の穂浪に紛れこんで群生するケシに疲労感が束の間であるが消え去る。 宿泊地La Romieuも城塞都市である。外周を建物でぎっしり取り巻枯れた中に入るとなんとなく安心…

出会った橋ール・ピュイの道-11

17Cにフランス南部の物資運輸のインフラとして、ガロンヌ運河とミディ運河の開鑿により大西洋と地中海が結ばれた。その後、その役割は鉄道や自動車に取って代わられ、今ではレジャー活動のインフラとして活用されている。Moissacのにはヨーロッパ各地からや…

出会った橋ール・ピュイの道-10

5月27日、前方から胸をはだけ笑顔の男が巡礼路を逆行してくる。なんと、先日昼食で立ち寄ったカフェで出会い、しばし会話したムッシュー アッシーであった。 フランス北部から女性三人と共に車で巡礼にやって来たと言っていた。朝食後、女性軍を巡礼路まで送…

出会った橋ール・ピュイの道-9

5月25日、LascabaneのGite宿には 教会に併設されていた。夕刻のミサに参加したが同宿の人の半数も参加していない。洗足式が行われ神父が巡礼者の足を洗ってくれた。クリスチャンではない私も例外ではなかった。最後の晩餐の時、キリストが弟子達の足を洗い、…

久しぶりの街歩き

嘗て会社で仕事を共にした先輩から展示会に作品を出展するとの案内メールを受け取った。これは不要不急の要件にあらざると出かけることとした。場所は六本木の国立新美術館であるが、かねてギンザ・グラフィック・ギャラリーの企画展「TDC2021」(文字の視覚…

出会った橋ール・ピュイの道-8

5月24日巡礼16日目、"Le Puyの道"750kmの中間地点を通過した。時として、延々と続く単調な風景の中をただ一人歩いた。そして、約10kgの荷物も苦にならなくなり、膝や腰の痛みも忘れて黙々と歩いてきた。 ロット川の対岸に”黒いワイン”で知られるCahorsの街並…

出会った橋ール・ピュイの道-7

普通の観光旅行であるとフランスは観光国と思い込んでしまうが、今回の旅から私はフランスは農業国であったと強く実感させられた。巡礼路は広大な小麦畑、葡萄畑そして牧草地を縫いながら先へ先へと伸びてゆく。 5月21日、三つに分岐した巡礼路のうちCele川…

出会った橋ール・ピュイの道-6

3月18日、山間部を歩くMassif Central中央山塊を抜け出て、標高300m前後のゆるい起伏の開けた地形に変わる。周りには広大な農地が展開し、農業国フランスの一旦を垣間見る。次の作物のために開墾された農地はまるで地上に描かれた絵画を思わせる。 そよ風に…

出会った橋ール・ピュイの道-5

5月17日、目的地はその名がホタテ貝に似た村の形に由来するConqueである。四世紀末からキリスト教徒が隠れ住み、中世にロマネスク様式のサント・フォア修道院が建造されサンティアゴ巡礼路に組み込まれた。今では「フランスの最も美しい村」の一つとしてフラ…

出会った橋ール・ピュイの道-4

5月16日、Verrieresと言うごく小さな集落を通りかかった。その後を含めて多くの「フランスのもっとも美しい村」に出会った。一瞬、御伽の国に迷い込んだかと思った。美しいかどうかは別にして、それらの村に劣らない村として記憶に刻み込まれている。 ロト川…

出会った橋ール・ピュイの道-3

5月15日、昨日の白の世界から緑の世界に返った道を進む。Saint cheiy d'Aubracの集落と別れを告げる水路に架かるペルラン橋を渡る。巡礼路ではその一部や路上の建造物が世界遺産の構成要素として登録されている。中世に架けられたこの橋も登録されており、橋…

出会った橋ール・ピュイの道-2

5月9日、巡礼を前にしたミサに参列すべくノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂に向かう。主教の祝福に続いて国別の巡礼者の紹介があり"ジャポン"が耳に入った。続いてオンリーワンの言葉も聞こえた。周りは西洋人ばかりであり主教が何を言っているのか私なりに…

出会った橋ール・ピュイの道-1

「 賢者は原点をしっかり見つめている。富士山を登るのに、海抜零から足でしっかり登る。」 「塩の道」を歩いた後に倉本聰さんの「愚者が訊く その2」で出会った一文である。 2012年以来幾つかロングトレールをこなしてきたが、もう一つ達成感が感じられな…

出会った橋ー塩の道-2

安曇野にはあちこちに水路が張り巡らされている。その脇の小道を歩いていると静かさのなかで微かではあるが耳に響く水音が心地よい。北アルプスの残雪が産み出す豊かな水流である。 24日、早朝の心地よい空気を吸いながらわさび田の水を集める万水川沿いをひ…

出会った橋ー塩の道−1

熊野古道歩きで出会った老夫婦は、車と電車を利用しながら全国各地を数日間ずつの歩き旅をしていた。夕食に同席した時「一番よかったところは」と聞いたところ、お二人揃って「塩の道」との答えが帰って来た。 年が明けるといつものようにアル中の症状が出て…

出会った橋ー熊野古道/小辺路・伊勢路

5月の熊野古道歩きの不本意な中断が尾を引いた。 熊野古道には他にも参詣道がある。修験者が歩く吉野山から本宮大社に至る”大峯奥駈道”は惹かれるものがあるがちょっと厳しい。しかし、高野山からの”小辺路”も楽しめそうだといつもの如くその気になる。5月は…

出会った橋ー熊野古道/伊勢路・中辺路-4

熊野古道には多くの参詣路がある。嘗て皇族や公家が京都から船で淀川を下り、大阪天満で上陸の後、紀伊路を和歌山の紀伊田辺へと南下し、更に中辺路を東へと進み熊野本宮大社に至るルートがメインであった。今回私は伊勢神宮参詣者が更に熊野速玉大社へと向…

出会った橋ー熊野古道/伊勢路・中辺路-3

5月19日、熊野川に架かる熊野大橋を渡り和歌山県の新宮市に入る。伊勢路のゴールであるが、嘗ては渡しで霊場入りしていた。 「伊勢へ七度、熊野に三度」とあったが、熊野の霊場は仕事で訪れたのを含めると五度目である。まず、宿に向かったが土木建設工事関…

出会った橋ー熊野古道/伊勢路・中辺路-2

17日、賀田の船宿を出て甫母峠(305m)を越え二木島へ向かう。石畳と木の根が石畳に絡み合い、樹木の生命力に感じ入りながら歩を進める。 二木島峠(240m)、逢神坂峠(290m)と峠が続き新鹿(あたしか)に至る。昨日の雨で山道は川となっている。年間降雨量…

出会った牛

明けましておめでとうございます。 昨年は予期せぬ事態で一挙に閉じこもりの一年となってしまいました。さて、今年は嘗てのような街歩きができるようになるでしょうか。 今朝、恒例の歩き初めで隣の区に跨る公園で初日の出を拝んできました。お裾分け致しま…

出会った橋ー熊野古道/伊勢路・中辺路-1

膝痛で諦めていた四国遍路、更には四度のサンティアゴ巡礼まで成し遂げ、成田空港でロングトレイル一人旅は打ち止めと思った。しかし・・・ 年が明け、自らの熊野古道歩きをエッセイに書き起こし、「歩く旅の本 伊勢→熊野」として出版した福元ひろこさんがお…

出会った橋ー銀の道-7

スペインはアンダルシアと言えば白い村を外すことは出来ないと、マラガからAlgecirasに向かう途中の山の中腹に静かに佇むMijasに立ち寄る。写真では見ていたがまさに白い村である。日照日数300日以上の日差しを和らげるために壁面を白一色の漆喰で塗り固めて…

出会った橋ー銀の道-6

Santiago de Conposteraは四度目であり、その日の夜行バスでMadridに向かう。6月28日早朝、アベニーダ・デ・アメリカBTに到着後、地下鉄で南BTに移動する。スペインやポルトガルでは方面別にBTが異なるので乗り継ぎは大変である。目的地はZaragozaだが大都市…

出会った橋ー銀の道-5

北に向かっていた巡礼路は、6月14日からポルトガとの国境に沿って西行きに変わる。 日本の温泉で働いていたスペイン人が帰国後Ourenseで日本式の温泉を開業している。6月22日、宿に到着後取るものも取り敢えず出向く。同宿の仲間を誘うが全く興味を示さない…

出会った橋ー銀の道-4

6月8日の朝、空は赤く燃えていた。 スペイン内陸部は全般的に平坦であるが、今日は標高1,200m弱の山脈越えである。とは言え実質約200mの登り下りである。頂上では風力発電の風車が迎えてくれる。発電量は世界第5位で、各地でこうした風景が見られる。 6月…

出会った橋ー銀の道–3

6月1日、Aldodescarの宿を出て1人歩くが、周りに見えるのは牛ばかり。北の方では水量は少ないものの水路を渡る橋であったが、この辺りでは雨季以外は窪地に架かる橋である。 9時過ぎにCaseresに到着する。ローマ人が築き、8Cにイスラム教徒が侵入し、レコン…

出会った橋ー銀の道–2

Meridaはローマ時代以降イベリア半島の東西、南北を繋ぐ要衝の地で、「小ローマ」と呼ばれ数多くのローマ時代の遺構が残されている。圧巻は紀元前に築かれたローマ劇場で、舞台後方には大理石列柱が建ち並ぶ。毎年夏には古典演劇祭が開催され現代にも生きて…