明けまして

明けましておめでとうございます

 

ブログを始めて6年目に入り今回は365便となった。お陰様で身の周りの出来事に見境無く?関心を持つ様になり、成果は別として文章力を付けるべくジャンルを問わず本を読み漁っている。時にはマンネリに陥る事もあるが、気力の続く限り継続して行くつもりである。

 

さて、私の正月の恒例としてウオーキングの途上、折り返し地点である隣の区にまたがる高台の公園で初日の出を拝んだ。雲が出ていたが何とか日の出らしき画像となった。

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城北中央公園   2020/01/01/7:16

 

初詣はご利益の分け前の大きな小さなお稲荷さん。

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高稲荷神社  2020/01/01/7:41

 

日の出は正月に限らず眺めていると心穏やかになり、なんと無く思いを新たにする瞬間となる。

巡礼路を歩く時、涼しい内に距離を稼ぎたいとか、予約不能の宿のベッドを確保したい等で早朝の暗い中をスタートすることがある。そして次第に周りが薄明かりに包まれ、予期しない時に予期しない場所で日の出に出会う。

スペインには山が少なく広大な高地の連続した地形が多い。南部のSevilleを出て40度を超える"銀の道"を北に向かい歩を進める。13日目に出会った地平線からの日の出に気力を一新。

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Casar de Caseres〜Canaveral  2015/06/03/07:03 

 

"ポルトガルの道"の巡礼を 無事終え電車でポルトガルに引き返す。その後ご褒美の旅でアレンテージョ地方の山上の要塞に向かう。翌日始発のバス に乗るべく暗いうちにバス停 に向かう。時間に余裕があり付近を歩いていると東の空がオレンジ色に染まりだした。崖っぷちに立つと隣国スペインと思われる辺りにイベリア半島では 数少ない水景が広がっていた。思いもかけない絶景に出会えた。

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Monsaraz  2013/06/07/6:39

 

"Le Puyの道"最後の日。その日の内にTGVでパリに入るべく宿を暗い内に出発。途中、山道から幹線道路D933に出る。猛スピードで通り抜ける車のわきを歩くうち背中に暖かさを覚える。振り向くと後方彼方の道路の切れ目が真っ赤に染まっていた。バスクの日の出である。その暖かさに背中を押されながら駅へと急ぐ。

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 Ostabat〜Saint Jean Pied de Port  2018/06/09/6:30

 

「日の出」と言えばモネであるが、作品の前で小学生の課外授業。一月半フランスの空気の中に身を置いた後、念願の印象派の原点の前に立ち感慨一入であった。

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Paris 16区 Musee Marmottan Monet  2018/06/14/10:26

 

日本でも思い出に残る日の出に出会えた。

 四国霊場75番札所善通寺弘法大師空海の生誕地。前日は金刀比羅宮に参り久しぶりにゆったりとした日を過ごした。朝早く起き出し境内を散歩した。五重塔の背後に日の出の気配を感じた。

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善通寺市  2012/03/27/7:10

 

熊野古道の"伊勢路"の熊野市には七里御浜と言う長大な砂浜が展開している。ユースホステル のマネージャーが熊野灘の日の出は見ものだと言う。昨年も泊まったがその話は聞かなかった。翌朝、国道を渡り砂浜に出る。浜には釣り人が一人いるだけ。水平線が朱に染まりやがて朝日が顔を出す。初めて見た雄大な日の出である。静かな熊野灘であった。

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 熊野市  2016/11/12/6:31

 

 

 

 

私が出歩く理由

生まれながらに、疾病により、高齢化により外観に悩みを抱え、現状では医学的な対応が期待できない、そうした方々に抜本的な解決にはならないが、"メンタルメイク"という化粧法により社会参加、社会復帰への後押しをしている「顔と心と体研究会」理事長内田嘉壽子(かずきれいこ)さんの話を驚きと感動をもって聞いた。事前の悩みを抱えた顔と事後の喜びを隠せない表情の対比には、涙もろくなった者にとっては我慢のひと時であった。

 

箱根駅伝でお馴染みの順天堂大学と最後の秘境東京芸大(文庫本のタイトル)が合同で開いた「芸術は医療に何ができるか」と題するシンポジウムに出かけた。シンポジウムに共通するはっきりしない結論であったが、登壇者の話は非常に興味深いものであった。

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失礼ながら芸大澤学長の挨拶はもうひとつであった。(現文化庁長官の宮田前学長の話を聞いていたせいか)しかし続いて披露されたヴァイオリン演奏は曲目を失念したが流石と思わせられた。

 

順大佐藤名誉教授の基調講演 の中で、昨年NHKで放映され科学映画祭総理大臣賞受賞の8Kの超高精細映像によりミクロワールドを再現した「からだの中の宇宙」の上映。監修者としての解説もあり、只々圧倒的な映像に見入ってしまった。ニワトリの胚盤の中で心臓がゆっくりと姿を表す場面・・・これまで見られなかった細胞たちの世界が展開する。

 氏は縄文式土器に対する造詣が深く、その表面に表現された紋様と映像に浮かび上がったパターンの強い近似性を熱を込めて話された。

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座談会に入り前述の内田さんに続き、今話題の「本朝白雪姫譚話」の夕方の舞台を前にした歌舞伎の女形役者の市川右若さんが、ビデオによる化粧の実演を解説。"女の真似をする"のではなく、"女らしくする"との事で、「メイクする」ではなく、「顔をする」と言うのだそうだ。

 

ドイツからやって来て興福寺で修行中のザイレ暁映さんが坊主頭に墨衣で現れる。用件がありその姿で病院を訪れた時入館を止められ、「日本では仏教は”生"の宗教ではなく"死"の宗教として受け止められていると感じた」と言う。「唯識」と言う言葉が心に残った。個人にとってあらゆる存在は「唯」八種類の「織」によって成り立っているとの大乗仏教の見解。"世界は外にあるのではなく心の中にある"と言うことらしい。

 

順天堂練馬病院名誉院長の宮野武さんは絵を描く等芸術に造詣が深く、かつて順天堂病院院長に就任した時、"医療"と"芸術"との結びつきは"癒し"にあるとして、自ら院内の内装や照明等の調度品選定、自作の絵画や写真を季節にあわせて展示、吹き抜けのホールでのコンサートと癒しをベースとした環境改善に着手し、更には病院としては初めてスターバックスを導入した。病気には関係なく一度訪れたい。

 

以上、「かたちとこころー心身の奏(かなで)ー」をつまみ食い的に紹介した。司会の奈良の"せんとくん"の作者藪内佐斗司芸大副学長が動植物の擬態の写真を示しながら、ダーウインの「進化論」の唯一、"生き残れるのは、強いものでも賢いものでもなくInovation(変化)出来るものである。"と総括的に話された。 因みに、先日紹介した文化財保存活動の先頭に立って活動されている。

 

イベントとして津軽三味線奏者の演奏もあった。最も若く17歳で日本一になり多様な人と交わりたいと芸大を目指す。津軽三味線の学科が無い為長唄三味線で入学を果たしたと言う。青森県南部の熊本県出身とユーモアたっぷりのトークも混じる。打楽器的奏法とテンポの速い音数が多い演奏法が特徴であり、生演奏の圧倒感に年甲斐もなく体を揺すりながら聴いた。

 

こうして大学キャンパス内に入ると、私立に顕著であるが施設の立派さには驚かされる。我が学生時代を思うと、時代のせいもあるがキャンパスは広いが施設は機能的に満足できる程度であった。まあいいか、我々の場合ほぼ税金での宛てがい扶持であったが、今ではほぼ学生自らの浄財で賄われているのであろうと推測する。

 

今更知的向上を図ろうとの魂胆はさらさら無いが、感性に就ては少なくとも劣化は防ぎたいとの思いと、体力・気力の低下による引きこもり防止の為に、チャンスを見つけてはあちこち出かけているこの頃である。

 

知識も成長もいらない、大事なのは感性を研ぎ澄ますこと

ものを書くということは、人に想いをつたえていくということ      

                  「不良という矜持 」   下重暁子/自由国民社

 

本年最後でもありもう一言。

フランス国鉄が長期にわたるストに突入している。昨年、私も同様のストに巻き込まれた 。慌ただしいスケジュール調整、数少ない運行便のチケット購入の為駅での長時間の待機と異国での孤軍奮闘の日々を思い出す。苦労が大きければ大きいほど、後々良い旅であったとの思いが強い。それがひとり旅の醍醐味と自己満足しながら今年も暮れて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出会ったサル

オーストラリアとサルがどう繋がるのか。インターネットで調べ分かりました。戦後、旧蜂須賀邸がオーストラリア大使館として使われた後、建て替えの為取り壊され、当時の門柱だけが残っているそうだ。

一方、立ち烏帽子に御幣を担ぐ猿は日枝神社の神猿をモチーフにしているらしい。日枝神社の境内には狛犬でなく猿が置かれている。

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猿は神様と人間の間を取り持つ存在として、昔から敬われる存在であった。"さる"という音から「勝る(まさる)→魔が去る」とも考え、勝運や魔除けの神とされた。そこで、屋敷を構える時鬼門にあたる北東の方向に猿の像を設置したと思われる。大使館関係者がその謂れを知り、新しい塀の元々あった場所に設置したものと推測される。因みに、新宿河田町の現在はレストランとなっている旧小笠原邸にも同様のものが鎮座している。地下鉄工事で取り壊された塀に設置されていた同様のレリーフが運良く保存され、後日エントランス脇に設置されたそうだ。以前訪れたことがあるが残念ながら気がつかなかった。

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銀座でも猿に出会った。四丁目の裏道に祀られている宝童稲荷の猿結参道で渡辺元佳さんの猿が道案内。更に進むとペアの猿が迎えてくれた。

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スペインで唯一出会ったサルはサラマンカの大聖堂の北口にいた。悪魔然とした顔で、何とソフトクリームを手にしているではないか。驚くには当たらない。ここには以前紹介した宇宙飛行士が宇宙遊泳をしている。

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 フランスはネコの町ラ・ロミューでは土産屋の店内で"三猿"ならぬ"三猫"に出くわした。日光を訪れた店主がこれは商売になると商品化したものか。SAGESSE(智慧トリオ)とあり€39(4,000円弱)。

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スペインやフランスでは色々な動物に出会ったが、出会ったサルはこの二例に止まる。インバウンドの欧米人が猿に異常な興味を持つのはもむべなるかなである。

 

一方南米はブラジルの猿。白金台の庭園美術館で開催された僻地に住む原住民が作った動物をモチーフにしたスツールの展示では猿も多く登場し、その素朴であるが思わず見入ってしまうデザインに住民と動物との関係性が伺われた。

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先日、晩年練馬区に居住され、自らを「造形作家」と呼ばれることを好んだ品川工(1908-2009)さんの展示会に出かけた。氏のことを初めて知ったが、作品の素晴らしさは当然であるが、100歳を超えて亡くなられる直前まで様々な制作手法に取り組むチャレンジ精神には感服した。

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ところで、11月15日のブログでアップした失敗作"オブジェ上の虚像美術館"の撮影に再チャレンジした。色々と角度を探った結果

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 美術館の下階の図書館のトイレで出会ったサイン。場所も場所であるが、声には出さず「三歩前進したら便器にぶつけてしまう」と・・・・

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三田再訪

都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅に降り立ち、神明坂を南に進み日向坂を渡ると右側に濃い青味がかった色の塀が続く。その片隅に薄茶色で正方形の陶板が目に入る。近づくと御幣を担ぎ烏帽子を被った猿のレリーフ

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疑問を抱えながら先に進むと鉄製のゲートがあり、そこにはオーストラリア大使館の銘板がある。和の風貌の猿とオーストラリアがどうしても結びつかない。疑問を抱えながら目を左に写すと、建物の大理石の外壁に向かいの建物と樹木が見事に映り込んでいる。最近ハマっている街中の虚像収集でやっと満足のゆく逸品?をゲットできたと感じた。今日の目的地は三田四丁目の寺町であり取り敢えず先を急ぐ。

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慶應義塾大学が企画した同大キャンパスツアーに引続き、今回は「寺院再訪:寺町の形成と変容」と題するレクチャー・見学会である。希望者三倍の難関を潜り抜けての参加である。

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先ずは、浄土真宗の明福寺で慶大上野准教授のレクチャーを受ける。概略、中世の江戸氏に始まり太田道灌、北条氏配下の遠山氏と築かれてきた江戸の街。徳川氏の天下普請の首都づくりによる江戸城の拡張に伴い、寺院も城下外殻部に移転し、寺町と呼ばれる特定宗派に限定されない諸宗派が並存する寺院密集地区が形成された。三田寺町は江戸時代末には50ヶ寺あったが、現在もも32ケ寺残っており港区最大の寺町との事。

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明福寺中根19代住職によると、城下外殻部の台地上と言う立地から大火・震災・空襲といった大災害を回避し、本堂は1799年の建立時のものであり、多くの関連資料等も残されているとの事。素晴らしい襖絵(パンフレット)も残っている。内観の写真撮影はOKであるがSNSはNO。外壁は火災に備えてか珍しく漆喰塗りである。

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引続き近傍の禅宗曹洞宗玉鳳寺に場を移し、昼食後に村山住職の話を聞く。

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曹洞宗のモットーは"政治・権力に近づかない"。その為か、総本山永平寺福井県永平寺町。因みに駅伝や野球で名を聞く駒澤大学曹洞宗の流れを汲んでいるそうだ。全国7万ヶ寺の内曹洞宗は1万5万千と最多。この辺りは地上げが進み、300の檀家はバラバラになり今や歩いて行けない。その内約50は後継なしで墓仕舞いが進む。年に約5%のお宅で葬儀がある。敷地は約300坪。地価は約550万円/T。営利業に一部転用している寺もあるが、年に約5%の葬儀があり何とか持ちこたえているので税金の事を考え思いとどまっている。・・・・と世相談義が続く。墓地には当時宝塚のトップスターでありながら日航ジャンボ機墜落事故で亡くなられた檀家の北原遥子さんがモデルの「美耀観音」が鎮座し、宝塚同期の黒木瞳さんが今でも毎年訪れているそう。ひょっとして・・・

最後に参加者が揃って般若心経を唱えてお焼香をしたが、私にとっては200回以上唱えた2012年の四国八十八ケ所巡礼以来の般若心経であった。

退出時に子供姿の六地蔵が目にはいり、その仕草につられてパチリ。

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更に、同じく禅宗臨済宗の龍源寺に移る。本堂はRC造に建て替えられている。「自分の内なるものに尊のとうとさを見出せ」との事。宗派の違いなのか住職の性格なのか、ここでのお話は控えめで余り印象に残らなかった。因みに十五派の本山が有り、京都花園の妙心寺大本山である。境内には樹木が生い茂り荘厳な雰囲気が漂っていた。ここにも六地蔵がひっそりと佇んでいた。

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そして表面を磨き上げられた石のテーブルに・・・・・・

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この辺りは良い檀家に恵まれているのか、 訪れた各寺では隅々まで手入れが行き届いている様に見受けられた。

今回は、宗教そのものでなく寺町に焦点を当てた江戸城下の形成の一端に触れることができた。観光寺でなく、地域に根付いた普通の寺院に接する事により、真の仏教に少しながら近づけたと感じる。

 

猿の疑問は後日・・・・・・・・

 

写真に対しては、誰でも写すことができる本来の意味は、簡単に撮れるメカニズムを超えて、体験や思いを拠り所にその人なりの感受性で世界をつかむレッスンなのだという誇大妄想を抱いている。

             「誰をも少し好きになる日」鬼海弘雄/文藝春秋

 

 

 

 

 

六本木から上野へ、そして

又々、テレビ番組情報に促されての街歩きである。「ぶらぶら美術館・博物館」の山田五郎さん御一行が、上野の東京国立博物館で開催中の住友財団修復助成30年記念「文化財よ、永遠に」と題する特別企画展を訪れていた。

久しぶりの快晴の11月末,六本木のFUJIFILM SQAREに向かう。先ずは、ヒッチコック、デヴィット・ボウイ、スティーブ・ジョブズといった時代の寵児を撮影し、「ポートレートの巨匠」として名高いアルバート・ワトソンさんの回顧展。偉大さを美しく切り取っている。

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 誰だかわかりますか。1898年撮影の若き日の坂本龍一さんです。

そして、あの円谷幸吉さんを含む5人のアスリートの「走る」という行為に人生を賭けた、栄光と苦悩、挫折の軌跡をビジュアル化して、KYOTOGRPHIE 2019ポートフォリオレビュー賞を受賞した関健作さんの作品展と 、その一人である世界陸上400mハードルのメダリスト為末大さんとの対談。直に話を聞くと色々と考えさせられる。毎日の様にテレビや新聞で派手に取り上げられているラグビー選手。そして、オリンピック後の選手達に思いを致す。

 

場所を移して湯島の近現代建築資料館。嘗て、東京駅や大阪駅の駅前広場に立った時、最近のビルの様な過度な自己主張は無いものの、ちゃんと存在感を保持していた中央郵便局。その設計者の「吉田鉄郎の近代」と題する展示とギャラリートークは一見して建築関係者と分かる一団で賑わっていた。

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東京では、今は亡き鳩山邦夫さんの一声で辛くもファサードだけは生き残っている。と嘆いている私の撮った写真では下に沈み込んでいる。

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大阪では、今や跡形も無く空き地然としたまま?再開発を待っている様である。

ヨーロッパでは古い建物は内部は現代に合わせて改修するも、嘗ての街並みの一部として残されている。

 

有難くも国立東京博物館本館には70歳以上は無料で入場できる。主として東日本大震災等の災害で損傷し住友財団の浄財に寄って修復された仏像群が一堂に会している。

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一部重要文化財が含まれるものの、修復資金が儘ならぬ地方の仏像が大半で、所謂脚光を浴びる観光仏像ではない。しかし、平安時代前後の古いもので、長い歴史の中で施された着色は取り除かれたこともあり、本来の素材感や素朴な風貌は、これまで見てきた仏像とは違ったものが感じられる。最も魅了された仏像は9世紀福井の高成寺蔵の重要文化財千手観音菩薩立像出会った。(パンフ左)華やかさを漂わせる千手。そして、顔や腹部に見られる木目。

 

隣の東洋館の前に特別展「人、神、自然」とあり、予定外であったが入館する。世界各地の古代文化が生み出した多彩な工芸品の展示に目を見張る。他の博物館では感じたことがない人間味が感じられた。

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パンフレットによると

"古代の人々は、自分たち自身をどのように表現したのでしょうか。神々や死後の世界、自然界をどのように認識したのでしょうか。古代の工芸品には、当時の人々の意識や世界観が投影されています。"

余談であるが当館の所蔵品展と勘違いし、海外の博物館に見られる収奪品?と感じかねない所蔵品と思い、日本も・・・・。スタッフに聞いたところ、カタール国の王族のコレクションとの事であり、事前の予備知識の不備とは言え妙な安心感を覚えた。

常設展は中国、朝鮮を中心に展示されており撮影可能であった。頭部のみであるが中国後漢時代の巨大な石仏の微かな微笑みなに目が止まった。

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上野に向かう途中、不忍池水面の立ち枯れた蓮の葉に冬を感じ、

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青々とした初夏の風景を思い出し、時の経つ早さを実感した。

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先日、久しぶりに白金台の庭園美術館を訪れた。そこでは未だ色濃く残っている秋の佇まいを楽しめた。

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展示は「アジアのイメージ」 と題し、大陸から輸入された古典美術とそれに憧憬の念を持つ日本の近代のアーティストの作品を並列しながら鑑賞させるものであった。

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中でも現代作家による今も生き続けている"東洋憧憬"をイメージさせる作品は興味深かった。

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あまりにも綺麗な仕上がりに、迂闊にも樹脂製でフォルムをメインとした作品と思った。しかし、漆芸家田中信行さんの作品と知り、薄っぺらな知識と低レベルの鑑賞眼の自分に情けなくなった。近づいて様々な角度で暫くの間眺めていると、漆の奥深さが染み渡ってくる様な感じに襲われた。

 

 

 

続・私のスモールジャーニー

人権啓発イベントでロバート・キャンベルさんの話を聞いた。杉田議員の新潮24の発言に直面して、自らパートナーと生活を共にしている事を公表し人権問題に取り組まれている。今回は「『ちがい』を持つ人々との豊かな出会いに向けて」と題するトークで、当事者ということもあり色々と考えさせられるお話であった。地方を旅していると時々差別問題を垣間見ることがあり、先ずはその背景を知ることから始めている。余談として、氏がロンドン滞在中に大人は子供同伴でないと入れない公園(ホランドパーク)に出くわしたそうだ。日本では大人同伴でないと入れない施設は見かけるが・・・・

同時にソプラノとテノールの声を歌い分ける両声ヴォーカリストのマリアセレンさんの歌を聴くことができた。自分はトランスジェンダーであると。  目を閉じて聴いていると、嘗て訪れた大聖堂の中に佇んでいた時のことが蘇ってきた。

場所は有楽町の東京国際フォーラムである。テラスに出て地上に目をやると都心のささやかな秋。

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そして、前方の壁面には向かいのガラスの晩秋の反射光が碁盤模様を作り出していた。

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熊野古道を歩いた縁で熊野古道サポーターになっている。今のところ現地に赴いて山道の整備参加までには至っていないが、東京で模様される三重県関連のイベントに参加している。「令和の時代をどう生きるか〜松坂の商人の経営に学ぶ」という文化セミナーに参加すべく中央区の水天宮に出向いた。最近嘗ての賑わいを取り戻している日本橋に足を向けることが多く、そのルーツである松坂商人を知る良い機会であった。丹波屋(木綿/マルサン長谷川/会社解散),小津屋(紙/小津産業),越後屋(呉服、両替/三越百貨店),伊勢屋(鰹節/にんべん),大黒屋(醤油等/国分グループ),篠原屋(太物、小間物/イオングループ)、そして歴史でお馴染みの本居宣長。松坂商人の経営手法(堅実経営/積極経営/組織体制と運営/危機対応)が営々と引き継がれてきた。

 

大手町日経ホールの日経フォーラム「パラリンピックから見える共生社会のビジョン」。オリパラにはあまり関心はないがちょっと覗いてみた。登壇者の発言はいずれも厳しいものであった。いくつかの発言が印象に残った。

シッティングバレーボールに取り組む真野嘉久さん「共生社会の言葉は好きではない」。目に見えない壁が感じられるそうだ。

ユーチューブを通じてパラスポーツの普及啓発支援をしている鎌田和樹さん「障害は個性である」

パラメダリストで国際パラリンピック委員会教育委員会のマセソン美季さん「子供を日本に連れて来た時、日本には障害者が少ないと言っていた。」分かりますか?

そして、発言者は失念したが重い発言「知識ではなく意識」そして、「⚪️⚪️⚪️はメダルの数ばかり言っている。パラリンピックの成功はメダルの数ではない。大会後に障害者が普通の存在になって初めてパラリンピックが成功したと言える」

さておいて、モデレーターの小谷真生子さんの采配ぶりには 感動さえ覚えた。