お急ぎの方

24日、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞磯崎新氏への授与式がヴェルサイユ宮殿で行われた。その数日前、氏の「東京は首都たりうるか」と題するトークイベントが開かれ、市ヶ谷の法政大学に出かけた。時の人という事もあり大盛況であった。"消す"と言う言葉に始まり、赤坂御用地内で準備が進む上皇の住居仙洞御所は、返還はされたが米軍の保養地として未だオフリミットとされている沖縄北部の旧米軍基地にと言う提言で締めくくられた。因みに氏は現在沖縄に居住されている。

 

休憩時間にロビーに出てトイレを探していると、金属を細工した人型が壁面からのぞいていた。瞬時にトイレの所在を認識した。壁面に描かれたピクトグラムより分かりやすい。

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別のトイレは奥まった所にあるトイレに導くように白い壁面に青と赤のピクトグラムと長い矢印が描かれていて自然に導かれて行く。

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日本では、トイレは多くの場合通路を奥に入った所に入り口があり、しかもできるだけ密やかに上品に知らせたいとの配慮から分かりにくいサインとなり易い。

ミュージアムやギャラリーにおけるサインには流石と思わせられるものを見かける。東京ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTは抑え気味な照明を配慮したサイン。

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内装がアール・デコ様式の東京都庭園美術館は重厚な仕上がりで。 

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DNPgggはグラフィック芸術のギャラリーである。

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そして、最近オープンしたMUJI HOTEL。如何にもMUJlである。

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 海外で見かけ印象に残るサインは、スペインのサラマンカで非常事態に飛び込んだバルのユーモア溢れるものである。

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そして、四国遍路の途上の寺でトイレ出会ったトイレ。これも一種のサインであろうか。

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ギンザ・グラフィック・ギャラリーgggに立ち寄った。「井上嗣也 Beginnings」と題する企画展を開催中で、ファッション界との関わりの作品の一点に目が止まった。何処かで出会った。

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昨年6月、パリから電車でヴェズレーに向かった。ロマネスク美術の白眉が残されているサント・マリー・マドレーヌ聖堂訪問が目的であった。聖堂内に入り薄暗いナルテックスで後ろを振り返ると待望のタンパン。中央のキリストの衣に刻まれた渦巻状の襞に暫く見入った。

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聖霊降臨」ヴェズレー   2018/06/11

 

タンパン中央のキリストの衣文。たばしる奔流のごとき襞の意匠は、神の超自然的な霊力を示すものか。      「フランス ロマネスクを巡る旅」 中村好文/木俣元一   新潮社とんぼの本

 

 

 

Le Japonの宿 L'Alchemiste

国内の書店で入手可能なサンチャゴ巡礼のガイドブックは "フランス人の道"の「聖地サンチャゴ巡礼」(ダイヤモンド社)のみである。そこで、巡礼に出かけるにあたってはアマゾンで探すこととなる。従って運良く見つかっても英語版、ドイツ語版、フランス語版でしかも版も古い。

フランスの"Le Puyの道"はフランス語版。辞書を片手に悪戦苦闘しながらルートの確認や宿の選定をする。宿の情報にはコミュニケーション可能な言語が国旗で表示されていてその中に唯一の日章旗を見つけた。以前紹介した"フランスで最も美しい村"Navarrenxの宿L'Alchimiste-accueil benevole de pelerinと言う11人収容のボランタリーの宿である。何はともあれこの宿は見過ごせないと宿泊決定。しかし、宿泊がずっと先の為日本からの予約は不可。

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巡礼29日目の6月6日、三日間連続の30km超えの歩行の後に無事到着。一週間前にOffice de tourismeから予約を入れてもらったので無事ベッドは確保済み。

入り口を入るが人影が無い。奥の方で人声がするのでその方向に進むと、数人の巡礼者がパラソルの下で談笑している。

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年輩の男性が声をかけてきた。取り敢えずザックを降ろし椅子に座れという。テーブルの上にはハーブティーが用意されており、取り敢えずウエルカムドリンクだとグラスを差し出される。

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日本語が通じるとのことでこの宿を選んだと言うと、以前日本人がボランティアで手伝ってくれていたが、既に帰国したとのこと。しかし、奥に入って再び姿を現した時には何とサムライになっていた。日本語は殆ど通じないが何よりのおもてなしであった。

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ネコもボンジュールとばかりに姿を見せる。

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何時ものように指定された部屋に荷を置き、シャワー、洗濯の後街歩きに出かける。教会のミサに参列して宿に帰ると既に夕食の準備が出来ていた。料理の一つに日本語で"良い方法"とある。意味不明であるが気持ちは十二分に伝わってくる。

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各自料理を皿に盛り付け隣の部屋で思い思いの場所に座を占め雑談しながらゆったりと晩餐を愉しむ。フランスの夕食ではお喋りが不可欠でこれが延々と続く。我が日本人が最も苦手とするところである。しかし、毎晩続くと慣れとクソ度胸でお付き合いできるようになる。

既に6月に入っているがまだ暖炉には火が入っている。その前で主人が深々と頭を下げ宿泊者に感謝の意を表する。

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残念ながら日本語は話せなかったが、まさしく"Le Japonの宿"であった。この宿で一番いいと思われる大きな部屋が単独で提供された。壁面には枯れた樹木を使った手作りのオブジェが飾られていた。

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「おもてなしは決して日本の専売特許ではありません」

翌朝、部屋の片隅に何気無く置かれた箱に、感謝の気持を込めたユーロ紙幣を押し込み、一人静かに宿を後にした。

 

改装なった江戸東京博物館の「江戸の街道をゆく〜将軍と姫君の旅路〜」に出かけた。唯一撮影可能であり、最も目を引いた展示物は薩摩藩島津家の女乗り物「黒漆丸十紋散牡丹唐草蒔絵女乗り物」であった。因みに重量は約70kgと思いの外軽量である。

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施された装飾にフランスでの一夜を過ごした部屋のインテリアが思い浮かんだ。

東京都美術館の「クリムト展」では、ジャポニズムの影響が強く伺える装飾にも通ずるものが感じられた。

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時速5kmの旅

NHKのBS3で運河の旅に出会った。フランス人夫婦がリタイアを機にパリからオランダのロッテルダムまで1ヶ月800kmの運河クルーズに出かける。ミッシェルは16歳で造船所の見習いとなり46年間船を造り続けた。退職5年前から休みの日を利用し、それまでに蓄えた2,000万円全額を投じて 自らクルーズ船を建造した。船の名は"RAGON"(ラグーン)。そして、仕事仲間に見送られ再びこの地を踏むことは無いとパリを後にした。20万円/月の年金を糧として、冬には温暖な南で最愛の妻と暮らしたいと。

「これからは時間は全て自分のものだ。自分自身の為に生きて行ける。私自身の人生のバカンスが始まる。」

 

"Le Puyの道"ではガロンヌ運河沿道を歩いた。1856年に竣工し、大西洋と地中海を結ぶフランス内陸の水運インフラの一部として機能している。融雪期と冬季の著しい流量変化の調節機能も果たしている

運河脇には緑に包まれた遊歩道が整備され、巡礼者はマイペースでゆったりと歩を進める。

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バカンス前でクルーズ船は余り見かけないが、生活品を満載した船が時々通り過ぎる。

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そして、所々に水位調節の為の為に設置された"ロック"(閘門)に出会う。両端に観音開きの扉があり、進路方向の水位に合わせて水を出し入れして船が通過する。

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その操作は利用者が自ら行っているが、結構時間が掛かっておりバカンス期の渋滞が目に浮かぶ。

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水位調整の間には船上の人と岸辺に立ち止まった巡礼者が互いに声を掛け合う。

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そして、少し大きな町に着くと船を岸に舫って買い出しや観光にと街中に出かけて行く。

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生活をしながらの時速8kmの優雅な旅である。私達巡礼者は時速5kmで彼等より贅沢な旅をしている。

 

暖かさが戻ったので江戸三大祭りの一つ"神田祭"に出かけた。場所は超高層の建ち並ぶ日本橋。色とりどりの衣装、御輿そして山車と進む。しかし、街並みのスケール感に呑み込まれてなんと無く迫力に欠ける。

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そのせいか、平将門さんには申し訳ないが撮った写真は後ろ姿になってしまった。

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色 いろいろ

毎朝ラジオを聴きながら歩く。前日のTBSラジオのニューストーク番組"荒川強啓のデイキャチ"をラジオクラウドで聴きながら。ところが3月末で突然の番組終了。人気番組であっただけに何かを感じさせる。止む無く"荻上チキSession22"と二人同行。この番組もいつお別れとなるか。週日の番組の為日曜日には土曜日放送の"久米宏ラジオなんですけど"がお供。

先日、ゲストにステンドグラス職人の加藤眞理(まこと)さんを迎えてのトーク。「フランス人と日本人は色彩感覚が異なる」から始まった。私もそれを強く感じていた。街中のポスター、駅のサインそしてディスプレイ。

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カルチェラタン/Paris

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Le Creusot-Montceau TGV

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コンフリューアンス地区/Lyon

フランスでは子供の時から教会に通いステンドグラスを眺め続ける。従って透過光による色で色彩感覚が形成される。一方、日本にも障子は有るものの,色を感じるのは反射光によるものである。ステンドグラスを学び始めて思い通りの色を出すのに5年が掛かったそうである。反射光の色を透過光の色に置き換えることが出来ず、大事な色のバランスが思い通りに表現できない。赤く描いた薔薇は透過光では黒い薔薇になる。ステンドグラスにはヨーロッパ式とアメリカ式があるそうで、前者はガラスにデザイン着色した後に焼成するが、後者は色ガラスを組み合わせてデザインするそうだ。因みに、材料のガラスは特別なものでフランスからの輸入品だそうだ。光の三原色を混ぜると透明無色になるが、色の三原色を混合すると不透明の黒色になると習った事を思い出す。ステンドグラスを外から反射光で見ると

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ステンドグラスの色と言えば、以前紹介したパリ郊外のシャルトル大聖堂での日本人修道尼との出会いを思い出す。 堂内を歩いていると突然後ろから声を掛けられた。時間が許せば案内してくれるとの事。ただ凄いの一言で漫然と歩いていたので、有難いお誘いであった。先ず案内されたのは多くのステンドグラスの中でも特別の物とものとも思われない二面のステンドグラス。一人であれば立ち止まることは無かったであろう。

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説明によると、シャルトル大聖堂は嘗て火事に見舞われ、多くのステンドグラスが失われた。その後修復されて現在の姿になっている。左側はその後の修復によるものだが、右側は幸運にも残された創建当時のもの。青色の深みが全く違う。右側が所謂"シャルトルブルー"。現在に至るもこの色は再現できていないそうだ。残念ながら写真では真の"シャルトルブルー"を伝えることが出来ない。この場に佇む以外に無いのである。そしてもう一つのシャルトルブルー。

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残されたステンドグラスの部分を寄せ集めたものだそうだ。絵柄のストーリー性は失われたが、それには関係無く伝わってくるものを感じる。

 

パリノートルダム大聖堂のステンドグラスは不幸中の幸いにも焼け落ちなかった。立地が良い為多くの観光客が押し寄せているが、ステンドグラスは19Cのもので歴史的価値は低いらしい。観光+αの関心をもって旅をすると思いがけない所でいろいろのものが 見えてくる。名前は伺わなかったが案内いただいた方に感謝である。

 

葛飾北斎伊藤若冲のベロ藍を透過光で表現したらどんな色になるのであろう。 

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貝甲図  伊藤若冲

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凱風快晴  葛飾北斎

 

 

 

 

 

Boulangerieの宿 Boulangerie Brousse

巡礼29日目の宿は人口1,800人弱の小高い丘の上の村Arthez de-Bearnである。ガイドブックの宿のリストで"Boulangerie"のワードを見かけ、もしやパン屋の宿ではと即インターネットで予約した。8ベッドと極めて小規模 で、相部屋ではあるが宿泊13€/朝食5€/夕食13€とリーズナブルな価格である。

小雨の中を小高い丘を登ると一本道に民家が並ぶ集落に辿り着く。観光案内所も人影も見当たらず思案に暮れていると、後からやって来たフランス人巡礼者が宿を見つけてくれた。

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パン屋の店が無いので分からないはずである。中に入ると机の上に紙のパッケージを並べて男女二人が話し込んでいる。どちらかが宿の人と思ったが私には一瞥もくれない。暫く思案していると机の上を片ずけて黙って出て行った。そこへ宿泊者の一人が階段を降りてきたので声をかけるとドアを指差す。そこには小さな張り紙があり近寄ってみると、何人かの名前が列記されており私の名前も記されてあった。予約は受け付けているので勝手にベッドルームに行けと言うことらしい。階段を上がり空いたベッドの脇に荷物を置く。シャワー、洗濯を済ませ夕食までの時間集落の中をぶらつく。

7時の夕食が近付くと宿泊者が食卓の周りに集まってくる。そこへ主人らしき人がやって来て宿代を徴収し、持ち込んだ料理を並べる。やっと宿の人と対面でき人心地ついた感じである。他の場所でパン屋をやっており、一人では宿の方に十分な手が回り兼ね宿泊者の方どうぞご自由に状態らしい。

料理はオーブンから取り出したままで持ち込んだようで、宿泊者がお互いに取り分けながら勝手に食べ始める。それを主人は何も言わずドヤ顔で背後から見下ろす。

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ローカルフードの味も量も満足の行くものであったが、当然ながらバゲットは流石であった。そして、デザートのエクレアとアップルパイは甘党の私には何よりのものであった。

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食後は皆で後片付けをする。そして、主人は多くを語らず店へと帰って行った。

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翌朝は途中にあるオーナーのパン屋に立ち寄りPetit dejeuner。奥さんらしき人と二人で営んでいる。夕食の料理はここで仕込んで宿に持ち込んだらしい。

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午前中の歩きのエネルギー補給にとテーブルに置かれたフレンチトーストを貪る。

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店の奥には焼きたてのバゲットが立て掛けられており、昼食用に一本ゲットする。

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美味しそうなケーキが目に入ったがここはパスせざるを得ない。

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民家の間を次の宿を目指して歩を進める。

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到着時の案内や説明も無く、夕食時に出会っても寡黙に眺めている主人には、私のような不案内な来訪者には少なからずの戸惑いを覚える。しかし、特段の支障も無く何とも言えぬ心地よさを感じさせられた宿であった。あの優しい眼差しが今だに思い浮かんでくる。

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旅の楽しみ

 先々週、ギャラリー「間」に向かうところで終わったが、目的は開催中の「夢のジオグラフィー」である。スペインはバルセロナの北方の片田舎の古民家で三人の建築家が設立した建築スタジオRCRの活動を紹介する展示イベントである。迂闊にもRCRを今回初めて知ったが、以前紹介した建築家のノーベル賞を2017年に受賞している。幸いにも来館が1日ずれたお陰で館長によるツアートークでRCRの詳細を知る事ができた。

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背後の建物がスタジオであり、手前の道路には建築家の三人が小さく写っている。作品はランドスケープ、アート、文化そして社会との関わりを重視しており深い共感を覚えた。

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「私たちにとって人生は夢であり、建築とは夢を見るための道具である。私たちは夢と建築を通して、真に重要な現実を創造する事ができる。そのような夢を通して、私たちは人生をたどってゆくのだ。」として、彼らの夢、宇宙観を体現したプロジェクト「ラ・ヴィラ」のドローイングを和紙の上に展開している。 

そして、樹木に囲まれた環境のイメージを表現した和紙を使ったインスタレーションも。

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日本への関心が強く、吉野杉を使った「紙のパビリオン」も計画している。

4年前、バルセロナでガウディを追い回したが、その時RCRの存在をを知っていれば放ってはおけなかったであろう。

私にとって旅の楽しみは写真等で出会った建物を 目の当たりにし、その空気の中に身を置く事ができることである。絵画やグルメと違い、これだけは現地に赴かないと実現できない。

 

最近、立て続けに建築に関わる展示イベントに出会うことができた。

先ずはル・コルビュジェ展。

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昨年、ル・ピュイ巡礼の後パリ16区のアール・ヌーボー巡りの途上でラ・ロッシュ邸に立ち寄った。小さな住宅であったがコルビュジェを実感できた。

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次は、アルヴァ・アアルト展。

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50年ばかり前の最初の海外旅行の際、ヘルシンキのアトリエを 無謀にも地図を片手にノーアポで立ち寄り内部を案内してもらったのを思い出す。

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そして、子どものための建築と空間展。

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一昨年、「塩の道」を歩いた際松本市で「旧開智学校」を訪れた。

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ユニークなデザインの校舎のみならず、当時の社会を反映した展示物も興味深かった。

 

多分、現物には出会えないであろう建築物の展示イベントも覗いた。

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建築写真展では、有名写真家による写真にかつて旅先や街歩きでの出会いを思いおこされた。

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ところで、石像の教会建築物がかくも無抵抗に焼け落ちたのかとの疑問が投げかけられている。巡礼の際訪れた街の教会で聖堂の天井裏に入り込むことができた。屋根は普通の木造であった。

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五月の雪

先週、箱根で季節外れの雪のニュースが報じられた。ここ数年の天候不順を思えば別段疑問の余地はない。

昨年フランスで季節外れの雪に襲われた。巡礼行4日目の5月12日、途中同行した二人連れのフランス人女性が突然明日は雪だと言う。私の語学力では詳しく確かめることは困難でありその場は聞き流した。

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ところが翌朝、目を覚まし窓に目をやるとなんと外は薄っすらと雪景色。

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雨も天候の内と天気予報はあまり気にしないが、後で確かめると強い低気圧が押し寄せ停滞中との事であった。普通であれば雨であろうが1,000mを越える標高の為雪となったのか。雪は止んでいたので朝食後予定通り宿を出る。雪の積もっていない舗装道路が続き歩行には全く支障がない。

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ところが一旦地道に入ると石が露出し凹んだ路面は水路となり歩き辛くなる。

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周りに目をやると放牧の牛が何も無かったかのように草を食んでいる。

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巡礼者もチラホラ見かけられる。特段の事もなく27kmの歩行の後次の宿泊地Nasbinalに到着する。

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翌朝も降雪はなく 緑の中を歩く。当日のルートは"Aubacの荒野超え"と言われ、巡礼路最高地点1,300mを通過する。嘗ては季節によっては 難所と言われていたが、この季節ではお花畑を楽しみながらのハイキングである。道端にはそれを示す写真が掲げられている。ところが不運にもこの時期ながら左寄りの景観が待ち受けていた。

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放牧場の柵を通り抜けると一面が冬景色に変わる。雪面には先を行く一筋の足跡が見えるが、周りには全く人影は無く、果たしてこれを頼りに進んで良いのか躊躇する。

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気温が下がり始め雪が降り始め始める。こうした事態を全く予測しておらず雨具の下の体は冷え込み、手袋の無い手はかじかみ、大袈裟ながら"八甲田山死の行軍"が頭を過る。途中、峠で見かけた小さな避難小屋に逃げ込み休息をしながら気持ちを落ち着かせる。

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下って行くにつれ雪は降り止み、やがて雪の無い地道にたどり着いた。辿り着いた集落のカフェで熱い珈琲を流し込み、やっと平常な気持ちを取り戻した。後から考えると死に繋がるような状況ではなかったものの、異国の地での一人旅であったが故の心境であった。しかし、寒さ対策はしていたが1,000m超える高地を歩く事への準備不足を痛感させられた。

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17kmの短距離ではあったが7時出発/16時到着の長時間の歩行であった。そう言えば、ひと一人見かけなかった。そして、Saint-Chely d'Aubracの宿の暖かいベッドで安堵の眠りについた。

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あのパリノートルダム大聖堂が!

街歩きの際に側を何度か通った。ある時、あの人混みを避けて中世の空気が残る路地に入った。振り向くと今は亡き尖塔と屋根が静かに佇んでいた。

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 塔の先端には運良く救出された風見鶏の影!