FOUJITA

東京都美術館に出かけた。没後50年藤田嗣治展と銘打っての彼の画業の全貌を展覧する大回顧展である。流石に見応えのあるものであった。

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6月10日,サンティアゴ巡礼を終えた翌日ParisからReimsに足を伸ばした。お目当は三大聖堂の一つのランス大聖堂である。因みにReimsをランスと読むとのこと。そしてもう一つのお目当は藤田が建造し、自ら最後の夫人と共に眠っている"フジタ礼拝堂"である。駅から町並みを眺めながら歩く。静かな佇まいの礼拝堂に到着したが、開館まで未だ時間があり周りに人影も見当たらない。

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向かいのシャンパ醸造所のロビーで時間を過ごした後再度出向くと、何と数十人の人が並んでいる。日本人は私だけ。小さな礼拝堂に入ると四面の壁にフレスコ画が展開。今まで見てきたフレスコ画と違った空気感を感じさせる。フジタワールドである。

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幾つかのステンドグラスも目に入る。

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そして、扉に描かれた小さな絵。

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外に出ると入口の両脇の壁面には彫刻。

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様々な作品を楽しんでいる内に周りの人影が消え、私一人が小さなフジタ美術館を占有していた。暫く穏やかな時間を過ごした後に礼拝堂に別れを告げランス・サン・レミに向かって歩き始めた。

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最近は日本にいても多くの名品を居ながらにして鑑賞することができるが、その場に行かなければ出会うことができない作品もある。そうした出会いを味わえる旅は、私に旅の醍醐味で味あわせてくれる。

 

Le Puy-en-Velay

2012年初春、私は四国八十八ケ所の巡礼路を歩いていた。それまでの三年間左膝の故障でリハビリの日々を過ごしていた。7割方の回復を果たしその実感を得る為、兼ねてから我がウオーキングの最終目標としていた八十八ケ所に挑戦した。行けるところまで行ければいいやと覚悟しての出立であったが、幸いにも完歩することができた。その後、本屋で「聖地サンティアゴ巡礼」(ダイヤモンド社)を目にし、無謀?にもその秋には"フランス人の道"のスタート地フランスのサンジャンに立っていた。いろいろな面でハードな旅であったが、無事聖地サンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂を目の前にすることが出来た。しかし、その時正直なところ何かを成し遂げたとか何かが得られたとかの実感がわかなかった。そして、年が変わると"ポルトガルの道"を歩き、更に年が変わるごとに"北の道","銀の道"と歩いた。結果は同じで、その後体力、気力を考え、国内にシフトし"熊野古道",塩の道"を歩いた。

ある時、サンティアゴ巡礼のルート図を見ていて、巡礼路はスペインに入るまでにヨーロッパ各国に網羅されている事に改めて気付き、隣のフランスを歩けば何か変化を感じられるかとの思いに至り、多少の不安を感じながらも"ル・ピュイの道"へと出かけた。

スタートはLe Puy-en-Velayで、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 オート=ロワール県の人口2万人弱の県庁所在地。

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 5月9日早朝、ノートルダム大聖堂(写真右端)でのミサに30名弱の巡礼者が参列。後で分かったが殆どがフランス人で国際色豊かであったフランス人の道と雰囲気が違う。終了後司祭から出発に当たってのお話があったがフランス語のためほぼ理解不能。途中で"ジャポネ"が耳に入った。近くの人に何を言っているかを英語で尋ねると「日本人が参加しており、彼はオンリーワンである。」との事。そしてその場の人達に紹介された。お陰げで途中で出会う巡礼者から屢々声をかけられた。へそ曲がりである私の座右の銘は恥ずかしながら"群れず媚ず"であり、司祭の言葉は私にとって大きな喜びであった。

その後、参列者は次々と巡礼のスタートを切っていった。

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私は昨日国鉄のストの影響で到着が遅れ、訪問できなかった岩上のサン・ミシェル・デギレ礼拝堂(写真左端)へと向かった。なんとこの岩の塊は嘗てマグマが噴き出した火山。この辺りにはこのような岩山が散在しているが、単成火山群と言われ一度だけの噴火が連続しこのような地形を造ったのだそうだ。Le Puyは噴火が収まった後に人が住み着いてできた街で、辞書を引くとpuyは山丘とあった。因みに、日本の火山は同じ所で何度も噴火した複成火山とのこと。

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 268段の階段を登ると頂上に12Cに建てられた礼拝堂。中に入ると壁面いっぱいにフレスコ画が残されている。柱は溶岩の玄武岩を削り出したもの。出発の時間を忘れ暫くの間時を過ごし、その後フランスで初めての永い巡礼の旅へとたびだった。

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歩くことは捨てること

サンチャゴ巡礼の話をすると「(辛い目をして)何故歩くの」と動機を聞かれる。私は一瞬戸惑いながら「歩くことが好きだから」と答える。

 

巡礼とは神の恵みを得る為に聖地へ旅することであり、キリスト教徒にとっては義務ではなく、熟慮に基づく自発的行為である。因みに、イスラム教徒にとってメッカ巡礼は信者として義務であり、巡礼を行わない教徒はアッラーの天国に入ることはできない。

そもそもの巡礼の動機は「自分を助けてくれるよう、病気を治してくれるよう等奇跡が起きる事を願う」「支配者が自分たちの目的を遂げるために、聖人の保護を求める」「宗教裁判所や教会から課せられた刑罰を償う為」「亡くなった人の代わり」「巡礼を口実に各地を放浪し生活する」等。(「サンティアゴ・デ・コンポステーラと巡礼の道」創元社  参照)

 

小野美由紀さんが著書(「人生に疲れたらスペイン巡礼」光文社新書)で巡礼途上で出会った人の言葉を紹介している。

「人生と旅の荷造りは同じ。いらない荷物をどんどん捨てて最後に残ったものだけがその人自身です。歩くこと、この道を歩くことは"どうしても捨てられないもの"を知るための作業なんですよ」

個人主義のヨーロッパらしく、人間関係はドライでフラット。基本単位は"一人"。なんと肌心地の良い距離感の間に漂っている。「ここは人間がちゃんといる。だから安心して一人になれる。」 

参考までに、西洋では神と個人の契約で成り立っている。だからファーストネームで呼ぶ。日本は世代間連携である。納得。(テレビで聞いた話)

 

私には確たる自覚は無いが自分自身を知りたくて歩いてきたのだ。永年にわたって溜まりに溜まったものを抱えて。安心して一人になる為に遥々ヨーロッパまで出かけてきた。聖地に到着した時の達成感の不在は未だ捨てるべきものを捨て切れていなかった為か。そして、年が変わるとまた出かけていた。

 

今回の巡礼途上でスイスのジュネーヴから来た若い男に出会った。システムエンジニアの仕事を辞め、荷車を引きテント生活をしながら約三ヶ月かけてサンティアゴ・デ・コンポステラを目指して一人で歩いている。住居は中心市街地の50m×50mの敷地に建つ二階建てだそうだ。私は巡礼の動機については個人それぞれの問題と捉え聞かないことにしている。しかし、興味はあるので勝手な空想は働かせている。そして、今どこで何をしているのだろうか。

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髭は聖地到着まで剃らないそうだ

ラストウオーク

6月9日,OstabatからSaint-Jean-Pied-de-Portまでの22km弱のラストウオークである。到着後はそのままTGVでパリに入る。13時10分の電車を逃すと次の便ではパリ到着が23時を過ぎる。歩行に要する時間はガイドブックによると6時間40分であり、安全を見て6時前にはスタートしなければならない。5時半に起床し、昨夜作ってもらった朝食のサンドイッチをパッキングして部屋を出かけると、ここ数日前後しながら歩いた北フランスから来た同室の男が目を覚まし別れの言葉をかけてきた。

外に出るとサマータイムのせいもあり、暗闇ではないがまだ薄暗い。サインを見逃さない様に周りに目を配りながら歩を進める。暫く歩くと前方に私の好きのお気に入りの樹木のゲートが見えた。そこを潜っても何も変わりは無いと知りながら妙な期待感が湧いてくる。

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 何とトンネル状になっており期待感が高揚する。更に歩を進めると幹線道路に出た。歩道が無いためすぐ脇を高速の自動車が次々と走り抜ける。背後に微かな熱気を感じ振り返ると、一直線の道路の先から真っ赤な日の出。一昨年の熊野灘の日の出が甦り暫くの間無言で佇んでいた。

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バスクの日の出

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熊野灘の日の出

フランスでは乾ききったスペインとは異なり水と緑に恵まれ、日本に近い空気感が感じられる。バスクに入るとその感が一層強くなる。

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再び脇道に入り幾つかの集落を抜ける。スペイン語バスク人語併記のサイン、バスク十字ラバウルを掲げた住宅エントランス。

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サンドイッチを齧りながら歩くと、前方から朝のしじまを破って羊の鳴く聲が響き渡った。物悲しい響きにつられて前方に目をやると貨物トラックがまさに動き出す所であった。側には数名の地元の人が佇んでいた。別れの瞬間であった。

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城塞都市サンジャンのサンジャック門を潜ると懐かしい家並みが続く。6年前期待と不安を抱きながら立ったサンティアゴ巡礼の出発地である。時間の関係で荷物を担いだ巡礼者は見当たらないが年配の観光客がそぞろ歩いている。聖地サンティアゴ・デ・コンポステラでない事もあるが、何時もの如く何かをやり遂げたと言う感慨が無い。"此れから如何しようか"が頭を過る。

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時計を見るとまだ12時前。結構頑張った様である。

TGVの座席に身を沈め暫くすると、"色々あったが今回も無事日本の地を踏めそう"と思いながら眠りに陥っていた。

長い巡礼なので歩行途上の記憶が薄れつつあるが、この日の事は未だに明瞭に思い出すことができる。

 

 

逆歩おじさん

5月28日、Moissacに向けて歩いていると前方から怪しげなおじさんが歩いてくる。ここ数日毎日の様に出会い声を掛け合う関係になっている。しかし、ある時は1人で逆方向から現れ、ある時は女性と共に私の前後を同じ方向に歩いている。

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不思議に思い、ある時その疑問を解くべく話しかけてみた。

フランス南部から女性3人とやって来たとの事。年齢と女性同伴を配慮してか独自の巡礼スタイルで楽しんでいる。車でやって来ており、朝 おじさんは皆の荷物を積んで出かけ、昼食を摂る街や村に車を置き歩いて巡礼路を引き返す。そう言えばいつも2時間前後歩いた所で出会う。一方、女性陣はハイキングスタイルで歩き始める。年齢は確認していないが見かけたところ60歳前後。身軽なせいか時には私とほぼ同じペースで進む。そして、途中でおじさんと出会うとおじさんはターンし、そこからは仲良く一緒に歩く。バルに着くと共に昼食を摂り、食後におじさんは1人車で宿に向かう。到着後再度歩いて巡礼路を引き返し、女性陣に出会うと合流して宿に向かって一緒に歩く。そうした数日を過ごした後車で家へと帰って行く。そして、又いつの日か出かけてくる。

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私の様に遠くからやって来た人はがむしゃらにそして巡礼路を一気に歩き通すが、地元のフランスの人は自分の身の丈に合わせて巡礼を楽しんでいる。でも、誰で も身軽に楽しめるサービスがある。指定の宿に荷物を届けてくれる有料の運送サービスがある。そして、巡礼路を結ぶバス便もあり、体調やスケジュールと相談しながら気軽に巡礼を楽しむ事もできる。

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カテドラル そして

これ、何かわかりますか

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ところで、フランスの巡礼では多くの"教会"に出会ったが、キリスト教の信者でない私にも所謂"教会"には大聖堂から礼拝堂まである事が実感できた。そこで、改めてカテドラル/大聖堂とは何者かを確認した。

カトリックでは行政的区分を教区と言い、そこに属する教区聖堂のうちの一つに司教座が置かれ、司教座聖堂=カテドラル/大聖堂と呼ぶ。ギリシャ語で「椅子」を意味するKatehedraに由来する。元々は皇帝や王、裁判官等の座る高座、更にはそこに座る人の権威を示す様になった。( 「フランス ゴシックを仰ぐ旅」とんぼの本 参照 )

日本における「社長の椅子」的なもの。そう言えば、今世間を騒がせている"会長の椅子"が思い浮かぶ。

前振りはここまでにして答えは「椅子」である。先日久しぶりに美術館に出かけた。東京都庭園美術館の「ブラジルの先住民の椅子 野生動物と想像力」。ユニークな企画展であるが、その趣旨、内容についてはリーフレットの抜粋で紹介。

ラテンアメリカでは4000年前に椅子の使用の痕跡が認められ、共同体の高位の構成員である長老やシャーマンが社会的な区分を指し示すシンボルとして占有した。現代では共同体の存続と伝統的な知識体系の継承手段であり、動物彫刻の椅子は、独自の文化的アイデンティティを主張する重要な対外的メディアとなっている。

難しい事は置くとして、個人的にヨーロッパのロマネスクに通じる何かを感じた。そして、箱であるアール・デコ様式の建物の内装にしっくりと収まっていた。建物が椅子を呼び寄せたのであろうか、椅子が建物を選んだのであろうか。多くの中から幾つか

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写真撮影はOKだったが、近づき過ぎて何度も注意された。因みに、上からハチドリ、カエル等、ジャガー、アリクイ、コウモリ、エイ。

 

 

 

 

 

 

 

猫はmiauミューと鳴く

日本には猫に因んだ観光資源?が数多く見受けられる。ネコの島(石巻田代島),ネコのまち(尾道/谷中),ネコ神社(浅草今戸神社)そしてネコカフェ。フランス巡礼路にもネコにまつわる村があった。
5月30日、23番目の宿はLa Romieuラ・ロミュー。1062年にローマ巡礼を終えた修道士が開き、巡礼者を意味する「ラ・ロミュー」と名付けた。ここにはゴシック様式のコロジアル サン・ピエール聖堂があり、世界遺産に指定されている。塔に上ると足下に街道の家並みが伸び、聖堂の屋根裏に踏み入ることさえができる。
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今では"ネコの村"として知られている。その由来を書いた一枚のコピーを観光案内所で手に入れた。
 
 「昔、木樵夫婦が一人娘を残し他界した。その娘アンジェリンヌは近所に引き取られた。彼女は大変猫を可愛がり、畑仕事を手伝う彼女の周りにはいつも猫たちがいた。1342年から三年間悪天候が続き、飢饉に陥り沢山いた猫たちが処分された。アンジェリンヌとその家族は雌雄の猫を密かに飼い続けた。その後収穫を得る事ができたが、猫がいなくなったせいではびこった鼠に農作物 が食い荒らされた。そこで、アンジェリンヌは生んだ子猫を村人に分け与え、鼠の被害を免れることができた。
後年、アンジェリンヌはだんだんとその風貌が猫に似てきたとのこと。」
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案内所の人の話によるとこの由来に因んで家の壁面に作り物のネコを設置しているとのこと。散策がてら集落をぶらつきながらネコを探す。仰ぎ見ると汚れてはいるが様々な姿のネコが見つかる。全部ではないと思うが15匹のネコを見つけた。
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生き物の猫も一匹。
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そして村はずれに所在なさそうなイヌ。
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お土産屋で見つけたのは"三猫"。
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日本の "三猿"のパクリと思われるが、世界各地に似た表現が有るらしい。英語では
"See no evil  hear no evil  speak no evil"
因みに日本には8C頃シルクロードを経由して中国から伝わったとのこと。
日本ならもっと積極的に"まち興し"に活用するだろうなと、控えめなネコたちに出会いながら思った。
 
何故か、フランスでは猫はmiauミューと鳴きます。