予期せぬ出来事-5
テレビは連日暑い暑いの連呼。
巡礼路では木陰の無い炎天下を歩く為気温(体感温度)や降雨が気になる。その為今回を含め気温が余り高くなく、降雨量の比較的少ないバカンスに入る前の5〜6月を選んで歩いてきた。それでもスペインでは北部以外では降雨は稀有であったが、体感温度が40度を超える事は珍しい事ではなかった。今回のフランスでも熱さは覚悟の上で臨んだが、暑さのダメージは殆ど感じる事なく、再三再四小休止の場所を求めて2〜3時間休む事なく歩き続けた。西に進むにつれ地平線に雲が湧き遠雷が轟き出す。
暫くするとパラパラと小粒の雨が降り始めるが通り雨で降ったり止んだり。慣れてくると雨具は付けず様子見しながら歩く。宿に着く頃には雨は上がっている。このような天候が連日続く。この雨自身は気にならないが思いの外の困難が待ち受けていた。
整備された道から細い地道に入ると一変して前日の雨で泥濘の連続。迂回路はなく足で粘土を捏ねるごとく歩を進める。困った事にきめ細かい粘土質の土壌の為滑る滑る。その上連日の雨の為路面が荒れておりスリップの方向の予測がつかない。まるで初心者のアイススケート状態である。
転倒すると
暫く歩くと靴の底に堆積し視線が高くなった感覚に陥る。へばり付いた泥は道端の石に擦りつけてもちょとやそっとではとれない。竹へらが必需品。おまけに水溜りにもそのまま踏み込む為、何年ぶりかで足にマメができた。
ロンドンブーツ状態
水路が川に
宿到着後靴を洗うがこびり付いた泥はなかなか取れないし、ズボンや靴下の洗濯のすすぎ水はいつまで経っても濁りが取れない。
フランス人はこうした事態を知り尽くしているのか、か弱い女性から高齢者に至るまで革製のごつい登山靴とスパッツの装備。因みに私は華奢なウオーキングシューズ。
予期せぬ困難に出会ったが、熊野古道の経験を生かし転倒だけは回避できた。
予期せぬ出来事-4
予期せぬ出来事-3
長旅をしているとついつい曜日感覚が無くなる。キリスト教圏のフランスでは生活に密着しているBoulangerieパン屋やPharmacia薬局を除いて店舗や飲食店はお休みである。しかし理解に苦しむのはOffice de tourisme観光案内所まで閉まっており慌てることがある。住民にとっては支障が無いということか。我々巡礼者は街に入るとまずTourismeに行き地図や情報を入手し、宿の予約をしたり所在を確認したりする大事な場所である。
日本では美術館等は月曜休館が多いがフランスでは火曜日である。理由を聞くと美術館等での生徒の校外学習が月曜日に行われるとの事。
アミアン大聖堂は休館は1/1のみ。見所は幾つも有るが堂内の敷石のラビリンスも注目に値する。
それも塔に登って上空からの眺めは圧巻と言う。塔への階段横の案内所に行き入場券を求めるとなんと火曜日は上がれないとの事。気がつくと当日は火曜日。係員相手に鬱憤を晴らして退去。残念!
「フランス ゴシックを仰ぐ旅」新潮社 とんぼの本
アミアンからの帰途、北駅から地図を片手にブラブラとギュスターヴ・モロー美術館に向かう。 モローの作品に特段の関心があるわけでは無いが、壁一面に並ぶ作品群の中に身を置いてみたいという勿体無い動機での訪問である。迷いながらも到着し入口扉の前に立つと「扉を押して下さい」とある。
ところが扉を押すが開かない。周りにに目をやると貼り紙に11〜14日はイベントの為休館とある。14日にはパリを離れるので万事休す。ついでに当日は火曜日の休館日であった。エア・フランスのストでスケジュールをいじっている間にチェック漏れ。それにしても残念!
シャルトルの床にもラビリンス。エルサレム巡礼の大変さを表しているとの事。
アミアン同様塔に登って上空から鳥瞰出来る。案内所で聞くと11時にツアーがあると言う。11時前に階段の前に戻ったが参加者は見当たらない。恐る恐る近くの係員に聞くと中止だと言う。理由を尋ねても答えない。お粗末な会話力ではさらなる追求は不可能。ここでも止む無く撤退。残念!
「フランス ゴシックを仰ぐ旅」新潮社 とんぼの本
予期せぬ出来事-2
今回の旅のKEY WORDは時代的には中世(ロマネスク/ゴシック),近世(アール・ヌーヴォー/アール・デコ/パサージュ)であった。そして是非出会いたいと思ったモノをピックアップしていた。しかし予期せぬ出来事?によりその思いが叶わなかったものがある。
「パリという大都会の真ん中で、中世の空気を吸ってみたくなったら、この小さな博物館に足を運ぶのが一番だ。」
誰の言葉かメモし損ねたが、この博物館とは15世紀の修道院長の宿舎を19世紀にゴシック×ルネサンスのmuseeに変身させた"クリューニー中世美術館"である。この文章と共に,"建築と展示物の親和性が完璧"というガイドブックの説明文に背中を押され、マレ地区の宿に荷物を降ろすや徒歩でセーヌ左岸に向った。地図を片手にたどり着いたが人影はまばらであり外壁には工事用シート。近づくと入口の赤い扉はピタッと閉まっておりその傍らに掲示物。なんと3月から6月中旬まで改修工事のため閉館とる。休館日はチェックをしたがこの事には気がつかなかった。是非との思いで帰途の6月14日に再度訪れたが、前回と同じ風景。掲示に目をやるとあまりのショックでJuneとJulyを読み違えていた。
内部展示「フランス ゴシックを仰ぐ旅」より
巡礼出発地に赴く途上でAutunのサン・ラザール大聖堂を訪れた。「かっこ悪い」との理由で漆喰壁で覆われた為「打ち壊し」を逃れた扉口上部の"タンパン"(最後の審判),柱頭彫刻の「マギへのお告げ」、そして18世紀の改修で「いらねえな」と捨てられたロラン美術館の「アダムとエヴァ」のエヴァの浮彫(アダムは行方不明)が出会いの相手。ところがここでも改修工事中。内部には入れたが別室に移されたマギには会わせてもらえなかった。
眠る東方の三博士のひとりの右手、天使がそっと指をふれてエルサレムに帰るなと告げる。パチリと目を醒ます博士の表情 「フランス ロマネスクを巡る旅」より
キリストとエヴァには会えたので良しとするか。
「最後の審判」左が極楽、右は地獄
脂ののった色っぽい身体を、まるで泳ぐように横たえるエヴァ
パリ16区に 残されているアール・ヌーヴォー 建築(19C末〜20C初頭)の第一人者ギマールの自邸も工事中だった。でも幾つかの彼の作品に出会えたので無念さは治った。
ギマールの作品 「カステル・ベランジュ」
バカンスを前にしてか改修工事中の建物が多く見受けられた。どうしても出会いたいものは事前の入念なチェックが必要。
予期せぬ出来事-1
帰国から二週間経ち再び日本の泥濘の道を歩き始めた。今回の巡礼行ではこれまでに比し多くの予期せぬ出来事に出会った。旅にはハプニングは付き物だが自前の一人旅では全て自己責任で解決しなければならない。
家を出る数時間前にHISから電話。「気を付けて行ってらっしゃい」かと思いきや、「AIR FRANCEのストライキで予約便(仁川〜CDG)が運航中止」。しかも「代替便は満席なので翌日の同時刻便になる。自宅で待機するか、ソウルのホテルで待機するか」と聞く。予約は大韓航空のはず。「AIR FRANCE?」。「共同運行でAIR FRANCEの運航便」との事。それは兎も角、巡礼開始までの 四日間の鉄道や宿のスケジュール調整が必要。ご存知のように鉄道の時刻表は曜日、場合によっては日にちによって異なるので絶えずチェックが必要。宿は直前のキャンセルでキャンセル料が発生。取り敢えず出発地途中で立ち寄る予定のVezelay行きを諦めスケジュール調整。
ストライキの余波は現地に入って本番。神戸女学院大学文学部名誉教授でフランス現代思想が専門の内田樹氏曰く。
「フランス人は異論が大好きである。デモとストライキは日常茶飯事。」
出発の一ヶ月前にHISからメール。フランスの国鉄SNCFが四月から六月までの三ヶ月間ストライキを予定。週に2〜3日指定して実施するが、対象となる便は前日の17時迄分からない。
スケジュール上バッティングするのは鉄道利用8日のうち3日。あくせくしても始まらないと現地対応で腹をくくる。
5月8日はスト実施日。出発地のLe Puy en Valayに向かうべくLyon Part-Dieuへ。利用できる便が二本あるのでつい油断した。駅でモニターを見ると二本ともキャンセル。近くにいた職員に確認するとAccueil(案内所)へ。これからが大変。出発が1日ずれると後々のスケジュールの調整が必要。宿の立地と予約の関係から簡単に解決できない。1時間以上のやり取りの末、取り敢えず途中の乗り継ぎ駅のSt Etienne迄行き、翌日(スト実施日)の最も早い便でLe Puyに入りそのまま歩きだすと言うぶっつけ本番で腹を括る。
ところがSt Etienneに着くと、Lyonでは時刻表に無かったバス代替便があるとの事。聖ヤコブ(サンチャゴ巡礼行の守護神)は私を見捨てなかった。遅くなったが無事予定通り巡礼開始の前日に出発地で眠りについた。
巡礼終了後 の5日間シャルトル等の三大聖堂や一度諦めたVezelayを訪問。その代わりモネの大聖堂 のRouen行きは諦めた。結果、ストの余波は最小限にとどめることができた。しかし、過ちを二度繰り返さないためスト実施日のチケット購入の為、前日の17時に駅に駆けつけた。これが並大抵のことでは無かった。フランスでは座席指定でなくても便指定をしたチケットが求められる。その為パリの様な大きな駅ではウエイティングの人が半端ない。そして客が対応する職員と長々と話し込む。更に職員同士が話し込む。私には何を話しているか皆目分からないが、どうも大したことは話していない様である。そして勤務時間が過ぎたのか、多くの客を後にそそくさと席を立つ。しかしこの状況でも何も無いかの様に会話に勤しむフランス人。理解不能。結局二日間2時間以上の人間観察の時を過ごした。
第四十便 6月13日(水) 晴
久しぶりの晴天。
シャルトル大聖堂の顔はランスやアミアンに比して正面はいたって質素。しかし足元の巡礼路のサインにはチョット感動。
今日はストの影響で見所は大聖堂だけであるが、昨日とは逆に滞在時間は4時間。しかしステンドグラスで覆われた堂内に入るや、団体旅行の様な短時間で見て回ると言うには勿体無い感動を覚える。
ユックリと二周回った時日本人の修道女から声をかけられた。フランスに来て2ヶ月。ボランティアでガイドをしているが何か聞きたいことはないかとのこと。自分はステンドグラス、彫刻、絵画など単なる美術品として見ているが、実は日本にもある様に字が読めない庶民へ聖書の教えを物語っている。聖書の教えに抵抗を感じている為そこの理解ができていない。その様な思いを述べた。それに応えて長時間にわたって現物を前に丁寧に説明してくれた。
写真を 緊張するから
火災を逃れた希少のステンドグラスのシャルトルブルーは現代科学をもってしても再現できない。
どちらが
焼け残ったものを集めて作られたステンドグラス。
ステンドグラスの下には寄贈者の職業が
教会はエルサレムに向かって西側が正面となる為南側のステンドグラスが明るい。その効果を使って?
西正面の入口のステンドグラス三面は南側の左から神の時代、キリストの時代、民衆の時代(ここはうろ覚え)を表し、次第に暗くなっている。
興味深い話が次々と出て今後の教会を見る参考になった。
此処でも鐘楼に登りガーゴイルを間近に、そして床のパターンを鳥瞰すべく11時のツアーの参加を待ったが突然の中止。理由は分からない。°°・(>_<)・°°
余った時間に水路沿いの古い住宅街の散策コースを歩く。途中日本人のアーティストが展示の準備をしているのに出会った。ドアの隙間から覗くと現地の奥さん共々歓迎。
一度上空からパリの街を眺めてみたいと思っていたので、お上りさんよろしくモンパルナスタワーヘ。オースマンの目指した都市の構造がよく分かるが、360度の平面で雑然としているが変化に富んだ東京の眺めに比べ面白みがない。
観光客で溢れかえったノートルダム寺院の正面の彫刻は何故か感動を呼ばない。
パリで数少ないロマネスク様式サン・ジェルマン・デ・プレ教会の彩色の柱頭浮彫。
宿近くのかつての司教公館を活用した図書館の梁受けの浮彫。そして企業イメージのポスター展示。
真ん中はPanasonic 分かるかな
宿の向いのヨーロッパ写真美術館は世界の紛争地の惨状の作品。前庭は日本人の作庭家の作品。
気ままの街歩きを楽しんだ。
第三十九便 6月12日(火) 晴一時雨
毎日の様にしとしとと降る雨。梅雨の日本を逃れているはずなのに。
地下鉄1号線が動いていない。駅では放送が流されているが分かるわけがない。今日は北駅からアミアンに向かう予定。とっさの判断で雨の中を隣の5号線乗換駅バスチーユ迄歩く。
北駅も古く大きな建物で自分の位置や乗車ホーム等全く分からない。何時もの聞きまくり作戦。ホームの向かい側からアムステルダム行きが出て行く。ヨーロッパにいる事を実感。
アミアンの駅前に1948年に建てられた「コンクリートの父」オーギュスト・ペレの当時の超高層?が屹立する。
13世紀に建てられた アミアン大聖堂の正面の彫刻群は「石の聖書」と言われるだけに圧巻である。あちこちから首を出すガーゴイルが異様である。
ランスの微笑みの天使に対しこちらは嘆きの天使。これかな?。
聖堂内部には見所が幾つも有るが、最も興味を覚えたのは床に描かれたパターン。フランスだからではないがシュールという言葉が浮かび上がった。
例によって高いところに登りこの床を鳥瞰しようとしたが残念ながら 今日は火曜日。観光地のexcept Tuesdayにはご用心。
「北のヴェニス」には水路沿いに古い住宅が立ち並ぶ。ストで滞在時間が3時間と短くなった貴重な時間を急ぎ足で散策。
パリに戻り東京都庭園美術館の様に住宅を美術館に活用している事に興味を覚え、簡単な地図片手に壁の街路名を頼りにやっとこさでたどり着く。そこはギュスターヴ・モロー美術館。扉に日本語で"ドアを押す"とあるが開かない。横に眼をやるとなんと11〜14日はイベントの為closeとある。 °°・(>_<)・°° 絵そのものは勿論、彼の言葉に惹かれた。
「私は、目に見えるものや、手に触れられるものは信じない。心に感じられるものだけを信じます」
明日もスト。5時に明日の運行状況が発表されるので街中を適当にうろついた後に最寄りのサン・ラザール駅へ行き2時間待ちでChartres行きのチケットを購入。今や 待つ事に慣らされ人間観察で過ごす。