第四十便 6月13日(水) 晴
久しぶりの晴天。
シャルトル大聖堂の顔はランスやアミアンに比して正面はいたって質素。しかし足元の巡礼路のサインにはチョット感動。
今日はストの影響で見所は大聖堂だけであるが、昨日とは逆に滞在時間は4時間。しかしステンドグラスで覆われた堂内に入るや、団体旅行の様な短時間で見て回ると言うには勿体無い感動を覚える。
ユックリと二周回った時日本人の修道女から声をかけられた。フランスに来て2ヶ月。ボランティアでガイドをしているが何か聞きたいことはないかとのこと。自分はステンドグラス、彫刻、絵画など単なる美術品として見ているが、実は日本にもある様に字が読めない庶民へ聖書の教えを物語っている。聖書の教えに抵抗を感じている為そこの理解ができていない。その様な思いを述べた。それに応えて長時間にわたって現物を前に丁寧に説明してくれた。
写真を 緊張するから
火災を逃れた希少のステンドグラスのシャルトルブルーは現代科学をもってしても再現できない。
どちらが
焼け残ったものを集めて作られたステンドグラス。
ステンドグラスの下には寄贈者の職業が
教会はエルサレムに向かって西側が正面となる為南側のステンドグラスが明るい。その効果を使って?
西正面の入口のステンドグラス三面は南側の左から神の時代、キリストの時代、民衆の時代(ここはうろ覚え)を表し、次第に暗くなっている。
興味深い話が次々と出て今後の教会を見る参考になった。
此処でも鐘楼に登りガーゴイルを間近に、そして床のパターンを鳥瞰すべく11時のツアーの参加を待ったが突然の中止。理由は分からない。°°・(>_<)・°°
余った時間に水路沿いの古い住宅街の散策コースを歩く。途中日本人のアーティストが展示の準備をしているのに出会った。ドアの隙間から覗くと現地の奥さん共々歓迎。
一度上空からパリの街を眺めてみたいと思っていたので、お上りさんよろしくモンパルナスタワーヘ。オースマンの目指した都市の構造がよく分かるが、360度の平面で雑然としているが変化に富んだ東京の眺めに比べ面白みがない。
観光客で溢れかえったノートルダム寺院の正面の彫刻は何故か感動を呼ばない。
パリで数少ないロマネスク様式サン・ジェルマン・デ・プレ教会の彩色の柱頭浮彫。
宿近くのかつての司教公館を活用した図書館の梁受けの浮彫。そして企業イメージのポスター展示。
真ん中はPanasonic 分かるかな
宿の向いのヨーロッパ写真美術館は世界の紛争地の惨状の作品。前庭は日本人の作庭家の作品。
気ままの街歩きを楽しんだ。
第三十九便 6月12日(火) 晴一時雨
毎日の様にしとしとと降る雨。梅雨の日本を逃れているはずなのに。
地下鉄1号線が動いていない。駅では放送が流されているが分かるわけがない。今日は北駅からアミアンに向かう予定。とっさの判断で雨の中を隣の5号線乗換駅バスチーユ迄歩く。
北駅も古く大きな建物で自分の位置や乗車ホーム等全く分からない。何時もの聞きまくり作戦。ホームの向かい側からアムステルダム行きが出て行く。ヨーロッパにいる事を実感。
アミアンの駅前に1948年に建てられた「コンクリートの父」オーギュスト・ペレの当時の超高層?が屹立する。
13世紀に建てられた アミアン大聖堂の正面の彫刻群は「石の聖書」と言われるだけに圧巻である。あちこちから首を出すガーゴイルが異様である。
ランスの微笑みの天使に対しこちらは嘆きの天使。これかな?。
聖堂内部には見所が幾つも有るが、最も興味を覚えたのは床に描かれたパターン。フランスだからではないがシュールという言葉が浮かび上がった。
例によって高いところに登りこの床を鳥瞰しようとしたが残念ながら 今日は火曜日。観光地のexcept Tuesdayにはご用心。
「北のヴェニス」には水路沿いに古い住宅が立ち並ぶ。ストで滞在時間が3時間と短くなった貴重な時間を急ぎ足で散策。
パリに戻り東京都庭園美術館の様に住宅を美術館に活用している事に興味を覚え、簡単な地図片手に壁の街路名を頼りにやっとこさでたどり着く。そこはギュスターヴ・モロー美術館。扉に日本語で"ドアを押す"とあるが開かない。横に眼をやるとなんと11〜14日はイベントの為closeとある。 °°・(>_<)・°° 絵そのものは勿論、彼の言葉に惹かれた。
「私は、目に見えるものや、手に触れられるものは信じない。心に感じられるものだけを信じます」
明日もスト。5時に明日の運行状況が発表されるので街中を適当にうろついた後に最寄りのサン・ラザール駅へ行き2時間待ちでChartres行きのチケットを購入。今や 待つ事に慣らされ人間観察で過ごす。
第三十八便 6月11日(月) 晴一時雨
エアフランスのストでカットしていたVezelayを諦めきれず、Rouen行きを取り止め出かける。宿からGare de Bercyまで雨の中をセーヌ川右岸を歩く。 途中ミッテラン時代のグランドプロジェクト財務省の下をくぐり、遠くに新国立図書館を眺める。そして新たな倉庫跡転用のレ・ドックに興味を惹かれ、歩行者専用橋シモーヌ・ボーヴォワール橋を途中で引き返す。
Vezelayに向かう電車で女性の個人旅行二人組に出会う。安全の為には宿等の出費が嵩むのが止む終えないとの事。その点私は費用が相当抑えている。
サント・マリー・マドレーヌ聖堂のタンパンの地獄極楽が切実さを訴え掛ける。
とりわけの見ものは数多くの柱頭浮彫。聖書を勉強していれば何時間楽しめる事か。
此処でも名古屋の名城大学に6カ月在籍していた男性と出会い、管理をしている女性も加わりフランス語、英語そして日本語のチャンポンで暫く話し込む。
電車の関係でタップリ6時間。門前町には多くのギャラリーが有りそれを除いて歩くうちに又々日本繋がりで男女2人の老人のアーティストに出会う。女性は版画男性は油絵。話しっぷりから兄妹らしく女性の息子が前橋にいると言う。帰り際にハガキ大の版画をプレゼントされた。
第三十七便 6月10日(日) 晴一時雨
布施英利の「ステンドグラスを見たければシャルトルに行け。ゴシック建築の「建築」を見たければアミアンに行け。そして、外壁に設置された彫刻の躍動する生命みたいなものに触れたければランスに行け。」(パリの美術館で美を学ぶ)の言葉に踊らされ、先ずはランスへ向かう。
フジタの礼拝堂も是非訪れたかった。開館までの時間に付近のシャンペンメーカーのカーブを覗く。エントランスまでだが、さすがにセンスの一端を見せつけられる。
フジタは静かな雰囲気を期待していたが、団体さんが次々に。フレスコ画は彼独特の白が際立ち心が安らぐ。
ロマネスクとゴシックが共存するサン・レミ聖堂はその対比が面白い。
ノートルダム大聖堂の西正面の彫刻群は言葉どおり圧倒的な迫力で迫ってくる。「微笑みの天使」は自分に向かって微笑みかけていると錯覚する。
様々なステンドグラスの中でも正面の二段の薔薇窓とシャガールのそれ。
トー宮殿では補修で取り外された彫刻が真近に見られる。
突然の雨に駅へ駆けつける。パリに帰りパサージュ巡り。
日曜日で大半の店が休みにも関わらず人出があり、ギャラリー等の展示を楽しんでいる。
然し南に下るにつれ閉鎖や改装中が目立つ。
途中日本へ行った事があると言うご機嫌のおっちゃんとおしゃべり。
そして宿までの道で出会ったものは
ホテルの広告
そしてお決まりの
第三十六便 6月9 日(土) 曇一時雨
Ostabat Izura - St Jean Pied de Port 21km
昨日の疑問とけました。バスク地方の風習で家の名前だそうです。
宿の主人もバスク人のベレー帽をかぶっています。やはり様になっています。
今日中にパリまで行くので、サンドイッチを作ってもらいまだ薄暗い6時前に出発。ルートエラーの内容注意深く進む。私の好きな樹木のトンネル。
そして日の出。
集落では早朝のヤギの出荷。現在の心境から鳴き声が悲しげ。
クボタの農機は日本では見られない機能。
6年前のスタート地点St Jean Pied de Port に予定の1時間半前に到着。そして今回のこの地をサンチャゴ巡礼のゴールと考えている。
TGV でモンパルナスに着き、明日明後日のチケット購入。約60人待ちで1時間半待ち。誰一人文句を言わず黙々でなくおしゃべりしながら待っている。私には歩くより辛い。宿に着くとグッタリ。
第四十一便 6月14日(木)/15 日(金)晴一時小雨
インターネット接続不良が続き、ここ一週間ばかり便り不通。今、仁川空港に辿り着いたので取り敢えず最新の便り。
念願のマルモッタンミュージアムは10時開館。8時前に宿を出てメトロでPorto Douphine に向かう。今や1〜2ヶ所になった屋根つきのアールデコの出入口を出る。木立の中に淋しく立ち尽くしている。ブローニュの森を散策しながら時間調整。森と言うだけあって公演とは違う。まるで巡礼路を歩いている感じ。
途中ルイヴィトンの現代美術館。ビルバオのグッゲンハイム美術館と同じフランク・ゲーリーの作品。外皮がプラスチック系なのか中の構造が透けて見え、一寸仮設的な感じ。しかし空や森が映り込み自然に溶け込んでいる。12時オープンでパス。
マルモッタンはモネの空気感が強く感じられる。モリゾーのコレクションが嬉しかった。
ルーブルやオルセーよりも
「日の出」の前で
継いでコルヴィジェのラ・ロッシュ邸。狭さには驚かされる。
アール・デコのギマールやラビロットの住宅。そしてバルザックの家
ケ・ブランリー 美術館はゲーリーと似た感じがある。展示内容が日本の妖怪等でこれもパス。
エッフェル塔もパス。
不動産屋の表の広告には例えば80平米で約1億。高いか安いか。
フライトの時間に合わせて宿までむ目的でぶらつく。日本人は殆ど見かけず、東洋系がバッコしている。日本人はパリを卒業か。そして無事CDG から飛びたった。
第三十五便 6月8日(金) 晴
Aroue -Ostabat Izura 23km
昨日は久しぶりに時間に余裕があり、宿の前のデッキチェアーで日向ぼっこ。広い青空に広がる雲を眺めて過ごす。日本の雲と違い低く密度が濃い感じで、宗教画を見ている感じ。これならノンちゃんも乗ることができるかなと取り留めのないことを考えながら過ごす。
雲もそうだが樹木も興味深い。
出発後木々の間からピレネー山脈が頻繁に顔を出し始める。
そしていつ終わる事なく続く泥沼状態は何処かの政界を思い出す。テレビも新聞も全く縁のない一ヶ月。
こちらでは結構犬が放し飼いで吠えかかる。あのイタリア人がいれば面白かった。
フィナーレを明日に控え圧倒的な情景が迎えてくれた。300mの小高い山に一気に登るとピレネー山脈の大展望が待っていた。そして360度のパノラマ。
昼食を取りながら値千金の景観を独り占め。
最後の宿泊地Ostabatは石造の建物が目を引く。建物のコーナーと開口部を残して白く塗り込めここでも巧まざるデザインが施されている。そしてエントランスの上には何やら曰くありげな石板が。
わが宿には何と1763 の数字。
そして究極は教会のデザイン。
ついでに通りかかった農作業車を紹介。