神頼み

"師走の衆議院選挙が通り過ぎて行った。まさに乗る予定のないバスがどこからか現れ、あっという間に通り過ぎて行ったと形容するのが一番実感に近い。ほんとうに有権者をなおざりにした選挙だった。"

高村薫さんが読売新聞「寸草便り」2014年12月25日に寄せたものである。(「作家的覚書」岩波新書より) 後日、彼女はこの文をほぼそのまま原稿に記すのではないか。いよいよ日本の行く末は神にすがる以外に無いのか。 

T大で中東情勢に関するシンポジウムがあり出かけた。米国との関係が主たる内容で興味深いものであった。構内の建物は長年の風雪で外壁の老化が見られるものの、建物群としてのデザイン特にカラーコーディネートへの配慮が感じられホッとさせられる。一方、最近その中に新しい建物が次々に建てられている。高名な建築学科の先生の設計と推察されるが、個々の建物のデザインはさすがと思わせられるが…………(あくまでも私の個人的見解である)

帰途久し振りの街歩きで湯島天神に向かう。境内に入ると入試シーズンが見えてきたせいか結構賑わっていた。メジャーな学問の神様だけあって合格祈願の絵馬がてんこ盛り。最近は個人情報保護とかでシールを貼ると聞いていたが、ここではアッケラカンと情報丸見え。お願いは大学入試関係が、多いが小学校入試から資格試験まで様々。その側に縦横の目盛りの入った大きな物差しが設置されていた。使用目的は確認しそびれたが、縦軸は子供の成長絡みか?。さて横軸は、胸のあたりに目盛りがあるので大人の成長絡みか?。と、妄想しながら参道を下って行った。

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湯島天神境内にて  2017/10/14

 

国家とは

カタルーニャ地方の独立問題でスペインが揺れている。一部では裕福なカタルーニャから多額な税金を吸い上げる一方、国家からの分配が不当に少ないという経済的な問題に住民の不満が高まっていると言われている。しかし私は個人的には言語・文化の問題だ主と思っている。スペインに拘りを持つ私としては看過できない事態と思っている。

カタルーニャバスクは統一以前の地域意識が根強く、スペイン人としてのアイデンティティを否定し続けている。1939年にフランコ政権が成立し、その後1975年のフランコの死去までカタルーニャバスクに対する言語・文化への弾圧が続いた。その弾圧の補償を目的とした2007年の「歴史記憶法」成立を経て現在に至るも、歴史の総括は終わっていないと言われている。

ムック「TRANSIT 22号」によると、カタルーニャ語が書ける人は15〜29歳77%で75〜84歳でも50%,日常的にカタルーニャ語を使う人は36%(2008年)である。参考までにバスク州における帰属意識は「スペインよりバスク」が5割(2005年)である。

宿の近くの路地で地面に埋め込まれたプレートを見かけた。そこに書かれた文を拙い語学力で訳してみた。

          バルセロナ評議会        薬局  Lant  Agusti   1947  2007       都市に奉仕する

「薬局を営む Lant Agustiさんが1947年から2007年にわたる都市の運営への協力に対し、バルセロナ評議会がその功に報いて設置した」と読んだ。二つの年号と上記のフランコに関わる年号の符合については……?。因みに下段はカタルーニャ語であった。

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薬局前?の路上のプレート  バルセロナ   2015/7/3

引用の断片

最近申し訳なくも他人の文章の引用に堕している。今回も池澤夏樹さんの「叡智の断片」(集英社インターナショナル 2007/12/19)から。まずは自戒の念から

  

引用というのは自分の意見を飾るために叡智の断片を借りることだから、意見を言わない国では使い道がない。日本人は好みは言っても意見は言わない。異を唱えると角が立つから、議論は避ける。なるべくなめらかに、他人と正面からぶつからないようにして生きる。

 

そして理解しがたい突然の衆院選に直面して

 

選挙の立候補者というのは最も意見を言わなければいけない立場なのに、ひたすら「お願いします」しか言わない。政策ではなく人格を売り込んでいるみたい。

今の日本には、覚えていて引用するに値する発言が少ない。最近、政治家が言ったことで感心したことがあっただろうか?失言はしても発言をしないのが日本の政治家。小話にもならない。

もちろん日本人にだって意見がないわけではない。しかしその意見はふだんから小出しにして、互いにすりあわせ、大きくぶつからないように調整してある。従って、誰か一人の意見によってことが決まるわけではないから、失敗に終わった時も責任を取る必要がない。「和を以て貴しとなす」とはこういうことなのだろうか。

 

そしてもう一度自戒の念から

 

引用とは自分では思いつけないような気の利いた言葉を他人から借りることである。「たくさん引用を用意しておくと、自分でものを考えないで済むの」とイギリスのミステリー作家ドロシー・セイヤーズは言った。

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笑いを忘れた貴方にお薦めの一冊

 

 

一期一会を楽しむ

NHKブラタモリが異例の3週にわたって高野山を取り上げた。私も昨年末九度山から町石道を経て高野山に入り熊野古道小辺路」へと抜けた。番組の中身は結構濃く再度の訪れの誘惑に駆られた。

東京新聞夕刊で俳人黛まどかさんの四国遍路体験が「同行二人」と題して本日連載完了した。ガイドブックやもどきに見られるような参拝寺院や遍路上の風景、ましてや途上の観光地やグルメ紹介もなく、道中のつらさやそれを乗り越える度の心の変化、そして地元の人や巡礼仲間との出会いが文の大半を占めている。私も2012年の四国遍路以来毎年ロングトレイルを経験してきたが、文章として残すとすれば稚拙は免れないが同じ様な文脈となろう。目的地到着時の達成感よりも、途上での出会いや出来事の方が数倍感動を呼ぶし後々まで記憶に残る。

ロングトレイルの場合歩行ペースや宿の立地の関係でほぼ決まった人との出会いがパターン化する。それも時に何かのトラブルで変化が起こる。自分の場合だと同行者がガラッと入れ替わる。寂しさの一方新鮮さが味わえる。そうでない場合は言葉を交わしたことのない人でも「あの人はどうしたのだろう」と気にかかる。本人から話し出さない限り暗黙の内にプライバシーに関することは聞かない。しばらく一緒する内に自然とお互いを知り合う様になる。その辺りの文が文中に散りばめられており興味深い。特に外国人との出会いが多く、そこでのやり取りがスペインでの経験を思い出させる。

「日本人は何故そんなに急ぐの?」「日本人は何故計画通りに動くの?」

殆どの出会いが今では一期一会と成っているがそれもロングトレイルの楽しみである。

スペインではしばしば巡礼中にできた外国人ペアに出会ったが、彼らには「一期一会」の奥深さは理解できないだろう。

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一人旅同士で目指したうどん屋は本日休業  観音寺市  2012/3/25

 

 

 

 

 

 

 

 

回り道

以前ラウンド・アバウトについて書いたことがあるが、最近その仕組みをわかりやすく書いた文章に出会った。少し長くなるが紹介しよう。

 

イギリスでラウンド・アバウト、フランスではロン・ポアンと呼ぶ。

具体的に言えば、交差点が環状道路になっている。車は一時停止の後その環状部分に入り、ぐるっとまわって目指す道に出る。

信号機の十字路と違って、ロン・ポアンでは大事故は起こらない。直進できないのだから正面や真横からの激烈な衝突事故は起こりようがない。一度止まって左を見て、車がいなければゆっくり進入する。常に中にいる車が優先。

もう一つの利点は十字路だけでなく三叉路でも五叉路でも七叉路でも造れることだ。出口ごとに行く先が書いてあるから、目的地の地名が頭に入っていればロン・ポアンを次々に辿って自動的にそこに行き着ける。ロン・ポアンの中で迷ったらもう一周して出口を確認してから出ればいい。Uターンも簡単。

信号のように車が来ないのに待たされるという無駄がない。交通量が多いところのロン・ポアンは大きく造ってあり、たくさんの車を裁けるようになっている(それでも渋滞は起こるが)。

また信号機と違って故障しないし、メインテナンスもいらない。

電気代もかからない。

では欠点は何か?場所を取るのだ。広い敷地が要る。

だから日本に普及しなかったのかどうか。沖縄にはアメリカ軍が持ち込んだロータリーが嘉手納と糸満に一つずつあるけれども、どちらも信号機を設置して事実上ロータリーではなくなっている。         

    「セーヌの岸辺」 池澤夏樹  集英社 2008/9/10

 

しかし、日本でも2013年の道交法改正で「環状の交差点における右回り通行」との定義の元に運用が開始され、本年の5月末現在全国で67箇所で運用されているそうだ。

広い土地が無くとも大丈夫。参考として「ポルトガルの道」途上の小さな集落で私が見かけたラウンド・アバウトを紹介する。

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Spain Pontevedra近郊のラウンド・アバウト?   2013/5/24

ラウンド・アバウトを英和辞典でひくとロータリーの他に形容詞で"回り道の"があった。形状が丸いからではなく、"急がば回れ"から名付けられたのであろうか。

 

 

伊勢へ七度(たび)熊野へ三度(ど)

信心深い事の例えだそうだ。私は四度と五度訪れており信心深さに今一歩と言うところか。内田樹×釈徹宗著の「聖地巡礼 Rising」を読んでいて、気になったコメントがあった。ご両者が数人の仲間と熊野古道を巡礼しながら対話をしており、その中の熊野那智大社の"那智の滝"に関するものである。 

地元のナビゲーターのコメントーーー「東京の根津美術館に「那智の滝図」という国宝の絵があります。昔、それを見た作家のアンドレ・マルローが本物をぜひ見たいといってここまで来たことがありました。正確な表現は忘れましたけど、「那智の滝は下から上昇している」といった意味のことを言っていたそうです

内田樹さんのコメントーーー遠くから見ると普通の瀑布にしか見えませんけど、近寄って見ると変わった滝なんです。(中略) その時オーロラみたいな不思議な模様が見えて、それを五分間ぐらい見ていたら、ちょっと気持ちが変になった。目をフッと下にずらしたら、岩が全部動いて見えたんですよ。グニョグニョと浮き上がって見えた。

又、昨日の東京新聞夕刊にはーーー落下する水が強風になびいて、竜のように見える。この滝に神が宿ると感じたいにしえの人に共感した。

そして、私は一昨年の熊野古道巡礼中の5月20日のブログに「滝を見ていると竜が次々と下ってくるように見える。」と記している。

 ひとによって見え方は異なるが、何れにしろ何か霊的なものを感じているようだ。「場」に対する認識からか、それとも 真に霊的なものが発せられているのか。

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熊野古道中辺路「那智の滝」  2016/5/19

旅に出る訳

最近毎年国内外でロングトレイルに出かけている。それも年甲斐もなく一人歩き旅。何故かと問われてもうまく説明できない。しかし、旅に関する本を闇雲に読んでいる内に「これだ!」と言う書き物に出会った。少し長くなるが安易との誹りを免れないが転用させて頂く。

 

なぜ軟弱なのか?

それは連むからである。一人で歩かないからである。"孤"となりえないからである。

中略

孤を知るにはどうすればいいか。

さまようことである。

旅をすることである。

その理由を旅人に問えば、十人の旅人から十の異なる理由が帰ってこよう。

さほど旅とは個人的なものだ。旅で出逢い、旅で感じたことを誰かに語ろうとしても、そのときの情緒。、感情は真に伝わりにくいものだ。旅はあなたの生の根底に潜んでいるものを引き出し、そこに立たせるからだ。

旅人にとって大切なことのひとつに五感を磨いておくことがある。

足を踏み入れた土地を、目で、耳で、鼻で、舌で、肌で、知覚することだ。

                       「旅人よどの街で死ぬか。」    伊集院 静   集英社

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「北の道」Mondonedo〜Vilalba  2014/6/18