世界で一番すてきな国

 先日図書館で「スペイン・ライフ」(益野碧 文芸社)と題した本を目にし、そのタイトルに惹かれ早速借り出した。著者は大学在職中にスペインに留学し、退職後にスペインに居住して文化を研究し、その経験・知識を一冊のエッセイ集に纏めたと語っている。100ページに満たない小冊子であり、大きな活字で一枚の図版以外写真も無い。スペインに足を踏み入れたことの無い人には殆ど興味の湧かないであろう本である。しかし、私にとっては読み進めるにつれ"あるある"の連続で一気に読み切った。写真が無いことにより、自分の経験として読むことができ何度も読み返した。遂には手許に置いておきたくなり即アマゾンでゲット。なんと本体価格45円でコストパフォーマンス抜群である。

その中で"ボカディーリョ"が紹介されていた。フランスパンにトマトを塗り込み、レタスとハモンを挟んだスペイン流サンドイッチである。皮がパリパリでチョット食べにくいが 巡礼中の私の昼食の定番であった。

あるレストランで注文して出てきたのがなんとフランスパン丸々一本。こちらの人には並のボリュームらしいが、我が日本人にとっては特大以上である。悪戦苦闘する私を暫しのパートナーであるイタリアーノが笑いながら囃し立てる。結果は半分弱を翌日の朝食用にお持ち帰りとなった。

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 「銀の道」Puebla de Sanabria での苦闘  2015/6/17

 

記憶は蘇る

 ロマネスクの時代にスペインという国家は存在しない。十一,十二世紀のイベリア半島は、キリスト教世界とイスラム世界に引き裂かれていた。    中略

スペインという統一国家の誕生する以前のイベリア半島の複雑な歴史。その錯綜こそが半島に残る多彩な中世キリスト教芸術の源泉となる。      「スペイン・ロマネスクへの旅 」  池田健二

最近ロマネスクにはまっており、次々に旅の記憶が蘇ってくる。

ヨーロッパの教会と言えば軽快かつ華麗なゴシック様式が思い浮かぶが、重厚かつ多様性に富むロマネスク様式も心に染みる良さがある。
レコンキスタ時代の一時期にアストウリア王国の首都であったスペインのオビエド。9世紀に夏の蒸し暑さを避け、風通しの良い郊外のナランコ山に 王の離宮が建てられた。その後近くの礼拝所を内部に移し、その跡が現在サンタ・マリア・デル・ナランコ教会と呼ばれている。純粋の教会建築ではないが、私の一押しのスペイン・ロマネスクである。市街地中心から路線バスで出かける。最寄バス停から斜面を登ると外構えがシンプルな方形の教会が現れる。上階に上がると嘗ての王の居室あった細長い身廊空間に出る。さらに妻側祭壇の設けられたバルコニーに出ると眼下に古都の市街が見渡せる。王にでもなった様な気分で暫し瞑想する。見所のインテリアの紹介は長くなるのでインターネットにお任せする。元の礼拝所もサン・ミゲル教会として近くに残っており、小ぶりで味わいのある佇まいである。
帰路のバス運転手に宿舎最寄のバス停を知らせてくれと頼んだら、終点近くで乗客が私一人であったせいか、ルートを少しだけ外して宿舎近くまで行ってくれた。"Muchas gracias"
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スペイン/オビエド 20140609

山のくまさん

先日NHKの"人名探究バラエティ 日本人のおなまえっ"の動物に因んだ名前をテーマにした番組をチラ見していて、あるコメンテーターが熊の付く名前の由来について話しているのを耳にした。<元々は地名の熊野の由来の一つにあるように辺境を意味する「隈」からきている。嘗ては北日本は別として熊に出会うことは殆どなかった。後々、熊の字を当てたのではないか。>らしき話をしていたと思う。

"熊野古道"や"塩の道"を歩いていて"熊に注意"の注意書きを頻繁に見かけたし、地元の人から最近熊が出没したから注意して下さいと声を掛けられた。熊野古道小辺路」の伯母子峠の避難小屋で休んだ時、扉の下部がギザギザに欠けていたのを目にした。「ここで休んでいた。その時熊が来て外から扉を開けようとした時の痕跡だ。怖かった!」と側にいた人が当事者から聞いた話として教えてくれた。

後日ある民宿の親父にこの話をしたところ「熊野には熊なんかいやしない。何かの音に驚いて熊が出たと思っただけだ。ほんとに熊を見たと言う人がいたら会って話を聞いてみたい。」と自信たっぷりに喝破された。残念ながらと言おうか、未だ山中で熊に出会ったことのない私にとっては"真相は闇の中"。

学生時代に"蟹族"で北海道の羅臼岳に登った時、落石を頭に受け死亡した人を見かけた。熊に出会って逃げようとして落石を受けたとの話であったが、場所柄全く疑問を持たず熊に対する恐怖を感じたのを覚えている。

ところで、年初に芸人の「森のくまさん」替え歌騒動があったが、結末はどうだったのであろうか。 

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新潟県糸魚川市で出会った"くま"   2017/05/19

immobile

世界報道写真展」を開催中の東京都写真美術館を訪れた。近年の世情を反映して中東の内乱やテロを題材としたものが多く、中には目を背けたくなるようなシーンも見受けられたがこれが現実である。

同時開催のインドの女性写真家ダヤニータ・シンさんの「インドの大きな家の美術館」と題する革新的な展示が興味を惹いた。屏風状の構造体に規格化された正方形と矩形のグリッドが組み込まれ、そこに多いものでは150以上の作品が配置されている。作品は人物が主体であるが、言葉で語ることを否定しており、縦、横、斜めのシークエンスから鑑賞者自らが解釈する。作家はキューレーターとして展示中随意に入れ替えを行う。側にはその為の作品が準備されている。展示室内での展示ユニットの配置換えも簡単で、展示場間の移動も容易であり、いわば移動式美術館である。

スペインの「北の道」巡礼路の途上のローマ人が築いた都市メリダで印象的なMuseo「国立ローマ博物館」に出会った。モザイクコレクションで有名であるが、私の関心はこの博物館が現存の遺跡の上に建設されていることである。館内に入ると嘗てのローマ街道が斜めに貫通している。さらに進むと床からモザイクで彩られた壁面が立ち上がっている。遺跡としての場所的な同一性だけでなく、2,000年の時間と空間が繋がっている。単なる遺跡訪問や博物館での鑑賞とは異なった空気感を覚える。いわば "immobile musium"とでも言おうか。 

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国立ローマ博物館(設計ラファエル・モネオ)  スペイン/メリダ   2015/05/30

テレビで「プレパト」を視ていて突然浮かんだ"才能なし"の一句

        熱きメリダ    モザイクの壁    刻を編む

いつも旅のなか

人それぞれであり旅のスタイルも色々である。従って私は他の人が何故旅に出かけ、どんな旅をし、何を見て何を感じているかに大いに興味があり、ドキュメントやエッセイ等旅関連の多くの本が本棚に並んでいる。

今手元には直木賞作家の角田光代さんの「いつも旅のなか」がある。氏は "仕事も名も年齢も、なんにももっていない自分にあいにゆこう。" と思いつくと行き当たりばったりで出かけ、その顛末をエッセイとして文章化している。とにかく面白く興味をそそられるが、私には同じような旅が出来るほど腹が据わっていない。

そしてあとがきに

旅は終わってしまうとするすると手を離れてしまう。そのとき目にしたものは、永遠に消えてしまう。旅で見たもの、出会ったもの、触れたものに、私はもう二度とあうことができない、書くことで、かろうじてもう一度、架空の旅をすることしかできない。いや、書くことで、架空にしろ、二度とできない旅をもう一度することができるのだ。           「いつも旅のなか」角田光代   角川文庫

とある。この文が私の現在の心境を表していると思い、何時ものように相乗りをさせてもらい引用させてもらった。

唐突であるが添付の写真は、フィゲレスからの帰途車窓から目に入ったもう一つの「スペインの赤」である。これも私の旅のスタイルの一片であろうか。

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Figueres〜Barcelona  2015/6/29

スペインの赤

「私はダリの娘」  

政治不信のニュースのオンパレードの中で親父ギャグにもってこいのニュースがピカリと光を放っている。

ホンモノのダリの世界を実感すべくバルセロナ滞在中の半日を割いてフィゲレスに出かけた。約2時間の電車旅の後、駅から旧市街地を抜け、歩くこと約15分で早くも目の前にダリ劇場ミュージアムが現れた。外壁いっぱいを額縁に見立て空を想わせる青い絵画。そこに長い梯子が立て掛けられ、あたかも空へと向かって昇って行けるのではないかと思わせる。

館内に入るとメインホールの吹抜けの天井画と周囲の壁面に展開する作品群に圧倒される。独特の仕掛けを施された様々な作品に心をときめかせながら巡り歩く。円形の回廊には各階で壁面の色を変え、そこに額縁に入った作品が並べられている。その中で赤色の壁に掛かった作品に目が止まった。A5判位の小品で中近東の騎馬兵群を描いた特段目立つものではない。しかしその絵を取り囲むバックの赤が背後の壁面を思わせ、恰も壁に貼り付けた絵に額縁の枠を配したように見えた。赤と言えば以前紹介したスペイン大使館の赤が蘇ってくる。

外に出て背後に回ると赤い外壁の上の屋上にお馴染みの巨大な卵が並んでいる。街の一画がダリワールドである。帰途、余韻を味わいながら2時間の車中を過ごした。 

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「描いたのはダリ」 2015/07/01

旅は道連れ

フェイスブックが何者かと試しに登録したところ、友達探しになんとスペインやポルトガルで何日間か共に巡礼路を歩いたイタリア人が二人顔を出した。プロフィールには何も触れていないのにどうして私に結びつけたのか不思議である。

巡礼路を歩いていると歩行ペースや宿舎のピッチで日々に出会う人がほぼ決まってくる。世界各国から集まっているので、"オラー"と声をかけ合い万国共通語と目される拙い英語で話しかける。そのうち何かを切っ掛けに一緒に行動をする密度が高まる人ができてくる。切っ掛けはやはり歩行のペースと言葉が通じ合うかどうかは別としてコミュニケーションのフィット感である。私の道連れは「フランス人の道」ではスペイン人グループ(+イタリア人、ブラジル人)、「ポルトガルの道」はイタリア人の二人連れとフランス人、「北の道」ではイタリア人の二人連れ、そして「銀の道」ではイタリア人の一人旅。なぜかイタリア人である。考えるにイタリア人は女性に限らず男性に対しても気軽に声をかけてくるし、他人の面倒を見るのがとにかく好きである。さらに何かにつけ自分達が一番と思っているから、そのスタンスに合わせていれば"一期一会"のパートナーとしては最高である。そしてもう一つ付け加えると、万国共通の話題が大好きである。通訳で作家の米原万里さんも著書の「ガセネッタ&シモネッタ」の中で言っている。

 

通訳者に下 ネタ好きが多いのは、理解できる。これほどいかなる言語、文化をも楽々と飛び越えて万人に通じる概念はないからだ。いまはやりのグローバリズムに最も合致するのが下ネタ。 

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「北の道」の道連れで愛すべき"Filippo"   2014/06/15