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TOP〜東京都庭園美術館〜江戸東京博物館ー2

東京都庭園美術館の企画展は「並川靖之  七宝」である。

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私にとって七宝はあまり馴染みが無いものであったが、花鳥を主なモチーフとした繊細な図案と微妙な色彩には目を見張るものがあった。身近に置いて眺めていたら気持ち穏やかに暮らせるであろうと思った。

 図案は0.3mmの銀線の仕切りに釉薬を入れ色毎に何度も焼成し、最後に磨き上げるという信じられない行程を経る。

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中国から渡った技法であるが、明治時代に欧米からの訪日客の外貨獲得策として脚光を浴びた。欧米では美術工芸品としての評価が高かったが、日本ではお土産品としての評価に留まり、良い作品は高値で海外に渡ったそうだ。

最近BS朝日の「百年名家」でこの美術館が紹介された。何度も訪れていた割には重要な見所を看過していた事に気付かされた。建物はアール•デコ様式であるが、設計が宮内省内匠寮の為もあり、至る所に和の要素が取り入れられている。

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屋内テラスの腰と床のタイルは正しく和

 

地下鉄で両国の江戸東京博物館に向かうべく地下鉄の駅に向かう。駅入口向かいの建物の壁面の標識が目に入った。"海抜30m"と記してある。四国遍路道や熊野古道では海抜ゼロに近い標識を多く目にしたし、東京でも海抜ゼロメートル地帯が騒がれた時もあったので、30mには一寸異様な感じを受けた。しかし、その下には"白金台"とあり妙に納得感を感じた。

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江戸東京博物館では「戦国時代展」。以前は歴史に興味あったが、歳をとるにつれ年代や人名に鬱陶しさを感じる様になった。好きだった歴史小説にも縁遠くなっている。でも、最近よく耳にする"刀剣女子"なるものの実態を垣間見ることができたのは収穫であった。

 

 

TOP〜東京都庭園美術館〜江戸東京博物館 ー1

寒波襲来ですっかり出不精になっていたが、久しぶりにミュージアム巡りに出かけた。最初に訪れたのは東京都写真美術館。 今回の改装を機に愛称をTOP としている。何かのトップを目指そうとしているのか。

「東京•TOKYO」と題して六人の新進作家の作品を取り上げている。佐藤信太郎氏の<東京l天空樹>は、東京スカイツリーを介してタワーを取り巻く11の街並みを8年にわたり撮影しているが、"ツリー"をあくまでも都市を見る為の装置として位置付けているのが興味深かった。絶えずスクラップ?•アンド•ビルドを繰り返す東京、数年後にはどの様な姿を見せてくれるのだろうか。

もう一つの企画は「TOPコレクション東京TOKYO」は当館の収蔵作品の中から多層的な都市「東京」を視点に戦後の作品を紹介している。はっきりと東京と認識できるものが写っていなくても、私の様な昭和時代末に上京した者にとっても「東京」を実感させてくれる。私もカメラを弄んでいるが、流石プロフェッショナルは違うと改めて実感させられる。

お約束通り館内撮影禁止であるが、一部はOK。

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林なつみさんの作品ですが、あなたはどの様な「東京」を感じましたか。シルバーデイと言うことで、作品と言われる写真には縁の無さそうな高齢者が多く来館していた。

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おとうさんは写真を見ながら何を感じているのだろうか。

 

徒歩で次のミュージアムに向かう。高層化が進む中に残された住宅街の一本道を進む。道路脇に"Maple Lane 子どものいる生活"と描かれたボードを見かけた。

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更に進むと道路の片側20〜30mに渡って擁壁工事の現場を通りかかった。作業員とほぼ同人数の5〜6人の警備員が横に並んで歩行者を誘導していたのを見て若干の違和感を感じた。

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先ほどのボードを思い出し、いつもの意地悪な勘ぐりが頭をかすめた。

昼時目黒に来るといつも立ち寄るうどん屋がある。東京では珍しく?薄味の澄んだ出汁とコシのある麺。どこで修業したのか聞いてみると「新宿の店だが出汁は関西、麺はさぬき」とのこと。

 

 

歩きの友

昨年のNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」は、我々の世代にとっては懐かしい「暮しの手帖」をモデルにしたドラマとのことである。「暮しの手帖」と言えば編集、記事執筆そして表紙デザインまで八面六臂の活躍をされていた今は亡き花森安治さんを思い出す。昨年の暮れ、その関連かNHKの「日曜美術館」で彼の特集を放送していた。その中で表紙デザインの変遷を紹介していたが、特にリンゴを縦横整然と並べたものが気になった。単に並べただけのものであったが、よく見ると一つ一つが光の当たり具合などにより、其々が微妙に異なった表情を見せる。

 

今年も既にウオーキングに明け暮れている。ウオーキングで最も大事にしているのはシューズの選定である。同じウオーキングシューズでも千差万別で、各メーカーは様々な研究の結果を製品に反映している。私は特に歩く地面の状況に応じて数足を履き分けている。

今年お世話になるシューズを花森安治さんへのオマージュと洒落て並べてみた。残念ながら私の場合はただ並べただけの結果となった。上段は毎朝の近場のウオーキング用でスニーカーに近いシューズ。中段はがっちりとしたハードなロングトレイル用。下段は街歩きなどのカジュアルな外出用である。

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当然ながら地面と接するソールが最も大事であり、各メーカー工夫の結果がパターンの表情に見てとれ眺めているだけで結構楽しめる。

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 入手するにあたっては当然ながら機能第一であるがデザインも気になる。クオリティの高いものはそれなりに結構高価格となるが、より高いクオリティのものを求めてセールに出かけるのを楽しみにしている。現在使っているsalomon(フランス/ウインタースポーツ用具メーカー)のシューズ(上左/中右)は今まで使ったものの中では最もお気に入りである。軽量かつ心地よいフィット感、ソールのグリップ感とクッション、そして紐はあるが結ばなくてよくしかも緩まない?

ウオーキングシューズに関しては外国のメーカーには敵わない。結果として手持ちでは日本のメーカーは一足(下右)だけである。

 

 

 

 

 

 

  

年の初めに

 今年も歩きから始まった。日の出時刻が6時51分なので初日の出が拝めるのは7時過ぎ。ウオーキングコースの折り返し地点である小高い公園から拝むのを習慣としているので、いつもより遅く家を出る。目的地に到着すると既に近隣から多くの人が今か今かと待ち構えている。空が朱に染まり出すと瞬く間に初日が昇る。特段何かを願うでなく静かに見つめる。

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秋に熊野灘で見た日の出には及ばないまでも、日の出は何時何処で見ても心新たさせられる。 

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熊野灘の日の出

 

コース途中には神社が二つある。 一つは近在の氏神様であろうか提灯で飾り付けられている。

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 もう一つは小さな稲荷神社。どちらも人影はない。小さい方がご利益の分け前が多いと言う魂胆ではないが、いつも小さい方にお参りする。ここでも特段の祈願をする訳でもない。

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サンチャゴ巡礼ではクリスチャンではないが方々でミサに参加した。ここでも何かをお願いした訳ではなく、意味がわからない説教を聞いているだけで、心が鎮まるというのが参列の動機である。

瀬戸内寂聴が老年に達すると信仰を持っていることはいいことだと言っていたが、私はどうもその心境には至らない。

 

 

 

 

 

 

 

私が出会った酉

今年最後のブログ。そして年が明ければ酉年。そこでここ数年に出会った酉を振り返ってみた。

熊野古道の酉

中辺路と大辺路の分岐点和歌山県田辺市に「闘鶏神社」がある。名前の由来は、熊野別当の湛増が社地の鶏を紅白に分けて闘わせ、白が勝ったため源氏に味方し、熊野水軍を率いて壇ノ浦に出陣したと「平家物語」に記されている。

今年の秋に世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」に仲間入りした。静かな佇まいであったが・・・・・

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2016/5/25

 

 伊藤若冲の酉

ムックで出会った「群鶏図」を直に目にしたいとの思いで、上野で開催中の"伊藤若冲生誕300周年展"に出かけた。「群鶏図」はホール内に展開する「釈迦三尊像」と「動植綵絵」の中でもひと際輝いて見えた。今にもコケコッコーと羽ばたきそうな生き生きとした描写、そして粋な色使い、さらには予想を超えた大画面に暫くの間身動きできなかった。

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2016/4/28

 

バルセロナの酉

バルセロナと言えばガウディとくるが、彼のライバルであったモンタネールも忘れてはならない。グラシア通りに並び建つモレラ邸は、外観こそカサ・バトリョに一歩譲るが、華やかに彩られたインテリアは逆転リードかも知れない。建物奥の家族用サロンの円形窓にはスペイン版の「群鶏図」。バルセロナを訪れるなら何とか時間を工面して足を向けることをお勧めする。

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2015/7/2

 

ポルトガルの酉

ポルトの北のバルセロスに伝わる伝説「丸焼きにされた雄鶏が聖母マリアの奇跡で起き上がり、無実の罪で縛り首になった青年の命をコケコッコーと鳴いて救った」に基づき、今や雄鶏はポルトガルの国鳥になっている。ガロと呼ばれ"奇跡と幸せを呼ぶ"と言われており、そのご利益を願ってきたが現時点では確認するに至っていない。

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2013//5/19

 

教会に住んでいる酉

サンチャゴ巡礼路「フランス人の道」のブルゴス手前のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのカテドラルの中ではつがいの鶏が飼われている。無実の罪で絞首刑になろうとした巡礼者一家の息子が、丸焼きのニワトリが鳴き声を上げることにより救われたと言う聖ドミンゴの奇跡を讃えての慣わしだそうだ。どこかで聞いたような話である。

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2012/9/8

 

 では、良いお年を

私の受けたおもてなし

滝川クリステルさんが、「おもてなし」を「ホスピタリティの精神」と呼びましたが、この言葉からも客の都合がないがしろにされていることが窺えます。

Hospitalityの語源は、ラテン語のhospes(客人等の保護)です。それがHospital(病院)、Hospes(ホスピス)といういろいろな言葉に発展しました。これから読み取れるのは、たしかに見返りを求めていないものの、客を"もてなしてやっている"という「主」の立場です。

中略

今、日本でつかわれている「おもてなし」はインバウンド、内需拡大という見返りをしっかりと求めています。

中略

以上のことから、「おもてなし」について重要なポイントは二つあります。ひとつは海外では「おもてなし」を受けたかどうか、評価するのは客であって、供給者側が決めるものでではないということ。そして、もうひとつが日本人が自画自賛する「おもてなし」と、外国人観光客が評価する「おもてなし」は違う場合があることです。

              「イギリス人 アナリスト  日本の国宝を守る」  デービッド・アトキンソン   

 

尾鷲の馬越峠の宿「山帰来」のご夫婦のおもてなし。5月にお世話になった時ご主人は入院中で期待していたお話が聞けなかった。「熊野古道  世界遺産を歩く」「熊野古道  小辺路紀行」等の著書がある。

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是非お会いしたく、紅葉狩りを兼ね再訪した。一宿泊客である私をわざわざ自宅にお招きいただき食事を共にさせていただき「熊野古道」にまつわる奥深いお話を伺え念願が果たせた。総檜の重厚な造りの空間と香りに包まれた時間は何よりの「おもてなしであった。

 

紀北町上里の「庄次屋」。ガイドブックに「古道客を手厚くもてなしてくれるよ! 主人の話も面白い! 是非よってみて」のコメントを読み突然訪れた。年齢や職歴等共通点が多く意気投合し、今度は泊りがけで来て一晩飲みかつ語り明かそうという言葉に甘え11月の再訪となった。ご主人手作りの料理とサミット御用達の酒"八兵衛"で、一晩とはいかなかったが数時間"熊野古道のあり方"や地域振興について語りあった。

ご自身設計の総檜の一室での心地よくかつ深い眠りもありがたい「おもてなし」であった。

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「おもてなし」と言えば四国遍路を思い出すが、杖を突きながら歩いていると、突然食べ物や飲み物を手渡される。時には小さな手作りのお地蔵さんを差し出された。自分に代わって遍路をして頂きたいとの願いを伝えるのに言葉だけでは不十分との思いからの行為と聞いたが、これは気持ちの上での見返りであり、その思いは「おもてなし」 の受け手にも十分に伝わる。

 

「おもてなし」は何も日本の専売特許ではない。サンチャゴ巡礼では各地で多くの「おもてなし」を受けた。その根底にはキリスト教信仰があるようでその行いに何の迷いも感じさせない。巡礼路上に設けられた宿"アルベルゲ"はその典型であり、巡礼者には国籍や宗教に関わらず€5〜7で一夜の宿りを提供してくれる。所によっては宿代は勿論食事まで無償で提供される。

深い信仰のなせる技と言えばそれまでだが、私のような「取り敢えずの仏教徒」にとっては遥かに理解を超えるものである。

 

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ホスピタレイロがおもてなし

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おもてなしを受ける巡礼者

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おもてなしへの小さなお返し

 

 

 

落葉

舞い落ちる葉も散り敷いた葉も落葉。どちらも静かな感じがします。この静かさが本意。風にふかれてかすかな音でも立てれば、なおさらです。   「一億人の季語入門」 長谷川櫂

 

秋の紅葉はいいものだが落ち葉も捨てたものではない。小辺路では紅葉よりも落ち葉に見るべきものがあった様な気がする。

11月の高野山では紅葉の足元でも艶やかな紅葉が見られる。静かさと言うより躍動感のようなものを感じさせる。

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小辺路では植林による杉桧が主体の為一面紅葉といった風景には出会わない。しかし日本二百名山の伯母子岳は千メートルを越すため、頂上付近ではふかふかの落ち葉の絨毯に覆われ、既に冬の風情である。

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伯母子岳から三浦口への下りでは周りの樹木の変化に従い、落ち葉も変化し楽しませてくれる。当然ながら紅い紅葉の足元はほんのりと赤みがかっている。

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黄色い紅葉の地面は黄色で、空気まで黄色がかって見える。

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紅葉しない木の落ち葉は茶色である。

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十津川温泉からの登りでは紅葉の落ち葉が見られた。

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毎朝歩く石神井川沿いのウオーキングコースは四季折々の様相を呈する。今は落ち葉の見頃で、折り返しの公園の園路は落ち葉で覆われておりクッション効果が心地よい。

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銀杏並木のぎんなんは既に落下しており、黄色のカーペットが延々と続く。

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先日訪れた三渓園の春草盧脇の東屋?の落ち葉の風情は、これが侘び寂びかと勝手に感じさせる。

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