歩きの友

昨年のNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」は、我々の世代にとっては懐かしい「暮しの手帖」をモデルにしたドラマとのことである。「暮しの手帖」と言えば編集、記事執筆そして表紙デザインまで八面六臂の活躍をされていた今は亡き花森安治さんを思い出す。昨年の暮れ、その関連かNHKの「日曜美術館」で彼の特集を放送していた。その中で表紙デザインの変遷を紹介していたが、特にリンゴを縦横整然と並べたものが気になった。単に並べただけのものであったが、よく見ると一つ一つが光の当たり具合などにより、其々が微妙に異なった表情を見せる。

 

今年も既にウオーキングに明け暮れている。ウオーキングで最も大事にしているのはシューズの選定である。同じウオーキングシューズでも千差万別で、各メーカーは様々な研究の結果を製品に反映している。私は特に歩く地面の状況に応じて数足を履き分けている。

今年お世話になるシューズを花森安治さんへのオマージュと洒落て並べてみた。残念ながら私の場合はただ並べただけの結果となった。上段は毎朝の近場のウオーキング用でスニーカーに近いシューズ。中段はがっちりとしたハードなロングトレイル用。下段は街歩きなどのカジュアルな外出用である。

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当然ながら地面と接するソールが最も大事であり、各メーカー工夫の結果がパターンの表情に見てとれ眺めているだけで結構楽しめる。

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 入手するにあたっては当然ながら機能第一であるがデザインも気になる。クオリティの高いものはそれなりに結構高価格となるが、より高いクオリティのものを求めてセールに出かけるのを楽しみにしている。現在使っているsalomon(フランス/ウインタースポーツ用具メーカー)のシューズ(上左/中右)は今まで使ったものの中では最もお気に入りである。軽量かつ心地よいフィット感、ソールのグリップ感とクッション、そして紐はあるが結ばなくてよくしかも緩まない?

ウオーキングシューズに関しては外国のメーカーには敵わない。結果として手持ちでは日本のメーカーは一足(下右)だけである。

 

 

 

 

 

 

  

年の初めに

 今年も歩きから始まった。日の出時刻が6時51分なので初日の出が拝めるのは7時過ぎ。ウオーキングコースの折り返し地点である小高い公園から拝むのを習慣としているので、いつもより遅く家を出る。目的地に到着すると既に近隣から多くの人が今か今かと待ち構えている。空が朱に染まり出すと瞬く間に初日が昇る。特段何かを願うでなく静かに見つめる。

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秋に熊野灘で見た日の出には及ばないまでも、日の出は何時何処で見ても心新たさせられる。 

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熊野灘の日の出

 

コース途中には神社が二つある。 一つは近在の氏神様であろうか提灯で飾り付けられている。

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 もう一つは小さな稲荷神社。どちらも人影はない。小さい方がご利益の分け前が多いと言う魂胆ではないが、いつも小さい方にお参りする。ここでも特段の祈願をする訳でもない。

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サンチャゴ巡礼ではクリスチャンではないが方々でミサに参加した。ここでも何かをお願いした訳ではなく、意味がわからない説教を聞いているだけで、心が鎮まるというのが参列の動機である。

瀬戸内寂聴が老年に達すると信仰を持っていることはいいことだと言っていたが、私はどうもその心境には至らない。

 

 

 

 

 

 

 

私が出会った酉

今年最後のブログ。そして年が明ければ酉年。そこでここ数年に出会った酉を振り返ってみた。

熊野古道の酉

中辺路と大辺路の分岐点和歌山県田辺市に「闘鶏神社」がある。名前の由来は、熊野別当の湛増が社地の鶏を紅白に分けて闘わせ、白が勝ったため源氏に味方し、熊野水軍を率いて壇ノ浦に出陣したと「平家物語」に記されている。

今年の秋に世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道」に仲間入りした。静かな佇まいであったが・・・・・

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2016/5/25

 

 伊藤若冲の酉

ムックで出会った「群鶏図」を直に目にしたいとの思いで、上野で開催中の"伊藤若冲生誕300周年展"に出かけた。「群鶏図」はホール内に展開する「釈迦三尊像」と「動植綵絵」の中でもひと際輝いて見えた。今にもコケコッコーと羽ばたきそうな生き生きとした描写、そして粋な色使い、さらには予想を超えた大画面に暫くの間身動きできなかった。

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2016/4/28

 

バルセロナの酉

バルセロナと言えばガウディとくるが、彼のライバルであったモンタネールも忘れてはならない。グラシア通りに並び建つモレラ邸は、外観こそカサ・バトリョに一歩譲るが、華やかに彩られたインテリアは逆転リードかも知れない。建物奥の家族用サロンの円形窓にはスペイン版の「群鶏図」。バルセロナを訪れるなら何とか時間を工面して足を向けることをお勧めする。

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2015/7/2

 

ポルトガルの酉

ポルトの北のバルセロスに伝わる伝説「丸焼きにされた雄鶏が聖母マリアの奇跡で起き上がり、無実の罪で縛り首になった青年の命をコケコッコーと鳴いて救った」に基づき、今や雄鶏はポルトガルの国鳥になっている。ガロと呼ばれ"奇跡と幸せを呼ぶ"と言われており、そのご利益を願ってきたが現時点では確認するに至っていない。

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2013//5/19

 

教会に住んでいる酉

サンチャゴ巡礼路「フランス人の道」のブルゴス手前のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダのカテドラルの中ではつがいの鶏が飼われている。無実の罪で絞首刑になろうとした巡礼者一家の息子が、丸焼きのニワトリが鳴き声を上げることにより救われたと言う聖ドミンゴの奇跡を讃えての慣わしだそうだ。どこかで聞いたような話である。

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2012/9/8

 

 では、良いお年を

私の受けたおもてなし

滝川クリステルさんが、「おもてなし」を「ホスピタリティの精神」と呼びましたが、この言葉からも客の都合がないがしろにされていることが窺えます。

Hospitalityの語源は、ラテン語のhospes(客人等の保護)です。それがHospital(病院)、Hospes(ホスピス)といういろいろな言葉に発展しました。これから読み取れるのは、たしかに見返りを求めていないものの、客を"もてなしてやっている"という「主」の立場です。

中略

今、日本でつかわれている「おもてなし」はインバウンド、内需拡大という見返りをしっかりと求めています。

中略

以上のことから、「おもてなし」について重要なポイントは二つあります。ひとつは海外では「おもてなし」を受けたかどうか、評価するのは客であって、供給者側が決めるものでではないということ。そして、もうひとつが日本人が自画自賛する「おもてなし」と、外国人観光客が評価する「おもてなし」は違う場合があることです。

              「イギリス人 アナリスト  日本の国宝を守る」  デービッド・アトキンソン   

 

尾鷲の馬越峠の宿「山帰来」のご夫婦のおもてなし。5月にお世話になった時ご主人は入院中で期待していたお話が聞けなかった。「熊野古道  世界遺産を歩く」「熊野古道  小辺路紀行」等の著書がある。

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是非お会いしたく、紅葉狩りを兼ね再訪した。一宿泊客である私をわざわざ自宅にお招きいただき食事を共にさせていただき「熊野古道」にまつわる奥深いお話を伺え念願が果たせた。総檜の重厚な造りの空間と香りに包まれた時間は何よりの「おもてなしであった。

 

紀北町上里の「庄次屋」。ガイドブックに「古道客を手厚くもてなしてくれるよ! 主人の話も面白い! 是非よってみて」のコメントを読み突然訪れた。年齢や職歴等共通点が多く意気投合し、今度は泊りがけで来て一晩飲みかつ語り明かそうという言葉に甘え11月の再訪となった。ご主人手作りの料理とサミット御用達の酒"八兵衛"で、一晩とはいかなかったが数時間"熊野古道のあり方"や地域振興について語りあった。

ご自身設計の総檜の一室での心地よくかつ深い眠りもありがたい「おもてなし」であった。

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「おもてなし」と言えば四国遍路を思い出すが、杖を突きながら歩いていると、突然食べ物や飲み物を手渡される。時には小さな手作りのお地蔵さんを差し出された。自分に代わって遍路をして頂きたいとの願いを伝えるのに言葉だけでは不十分との思いからの行為と聞いたが、これは気持ちの上での見返りであり、その思いは「おもてなし」 の受け手にも十分に伝わる。

 

「おもてなし」は何も日本の専売特許ではない。サンチャゴ巡礼では各地で多くの「おもてなし」を受けた。その根底にはキリスト教信仰があるようでその行いに何の迷いも感じさせない。巡礼路上に設けられた宿"アルベルゲ"はその典型であり、巡礼者には国籍や宗教に関わらず€5〜7で一夜の宿りを提供してくれる。所によっては宿代は勿論食事まで無償で提供される。

深い信仰のなせる技と言えばそれまでだが、私のような「取り敢えずの仏教徒」にとっては遥かに理解を超えるものである。

 

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ホスピタレイロがおもてなし

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おもてなしを受ける巡礼者

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おもてなしへの小さなお返し

 

 

 

落葉

舞い落ちる葉も散り敷いた葉も落葉。どちらも静かな感じがします。この静かさが本意。風にふかれてかすかな音でも立てれば、なおさらです。   「一億人の季語入門」 長谷川櫂

 

秋の紅葉はいいものだが落ち葉も捨てたものではない。小辺路では紅葉よりも落ち葉に見るべきものがあった様な気がする。

11月の高野山では紅葉の足元でも艶やかな紅葉が見られる。静かさと言うより躍動感のようなものを感じさせる。

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小辺路では植林による杉桧が主体の為一面紅葉といった風景には出会わない。しかし日本二百名山の伯母子岳は千メートルを越すため、頂上付近ではふかふかの落ち葉の絨毯に覆われ、既に冬の風情である。

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伯母子岳から三浦口への下りでは周りの樹木の変化に従い、落ち葉も変化し楽しませてくれる。当然ながら紅い紅葉の足元はほんのりと赤みがかっている。

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黄色い紅葉の地面は黄色で、空気まで黄色がかって見える。

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紅葉しない木の落ち葉は茶色である。

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十津川温泉からの登りでは紅葉の落ち葉が見られた。

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毎朝歩く石神井川沿いのウオーキングコースは四季折々の様相を呈する。今は落ち葉の見頃で、折り返しの公園の園路は落ち葉で覆われておりクッション効果が心地よい。

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銀杏並木のぎんなんは既に落下しており、黄色のカーペットが延々と続く。

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先日訪れた三渓園の春草盧脇の東屋?の落ち葉の風情は、これが侘び寂びかと勝手に感じさせる。

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伊勢河崎商人館

 先々週に引き続き伊勢河崎商人館を紹介する。河崎本通りを進んで行くと道の前方の見通しが利かなくなる。何かの理由で道路がクランクいるが、これがアイストップ効果となりコア施設である商人館へ導かれる。江戸時代創業の酒問屋「小川商店」を市が修復整備し、NPO法人が運営管理している国の登録有形文化財である。成立の基盤である瀬田川に面して蔵を構えた代表的な商家である。

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蔵は現在店舗として活用されている。蔵にしては多くの柱が林立している。その理由を聞くと酒樽を積み上げた時の荷崩れを防ぐ為とのことである。これがうまい具合にテナントへの貸し出し区割りとなり、複数の小規模テナントに貸していながら一体的で開放感のある空間となっている。 

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邸宅部分には京都裏千家の「咄咄斎」の写しの茶室と庭を設え、当時の大店の生活の一端が伺える。しかし、室内はあまりにも整然としており当時の生活の匂いが伺えないのが残念である。

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二階から表通りを見

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邸宅を裏から見る   右側は内蔵

 

邸宅の裏にも倉庫が並び、イベントスペースやまちかど博物館として地域の文化活動を支援している。

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まちなみ広場

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大きく曲がった梁    この発想は何処から

 

 少し離れた蔵は嘗ての川との関係を再現しようと,「川の駅」と称して休日に運行する観光船の船着場となっている。

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河岸は綺麗に改修されているが、防災が主目的となるためか嘗ての舟運の風景を思い起こさせる趣は感じられない。やむを得ない事か。

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全国的に名を馳せた街並みに比して地味であるが、それはそれなりの良さを私は感じた。

 

 

紅葉を愛でる

晩秋、草木が冬枯れを前にして一瞬、紅や黄に燃え上がる。華やかにして寂しさを含むもの。これが紅葉という季語の本意である。     「一億人の季語入門」長谷川櫂

 

外国人は紅葉をどう見ているか

「花を見る」という感覚は理解できても、「秋の紅葉を楽しむ」という感覚は、なかなか理解できないようです。彼らには「花は見るもの、葉は見るものではない」という確固たる分類があるのです。

中略

比較的日本滞在の長い外国人は、「黄緑、黄色、赤」とさまざまな色に変わる秋の葉の風景を綺麗だと思い始める外国人と、どんなに日本にいても葉を愛でることを全く理解できない外国人とに別れます。

   中略    

彼らにすれば、葉はただの植物に「分類」されているのです。「花」とは違うカテゴリーなのです。

「花」に分類されたものは見るもの、「葉」に分類されたものは見ないもの、ということです。日本人のように「葉でも色が変わって綺麗だと思う」という「自分と葉」の関係、つまりは変わっていく山全体の環境を包括的には考えないのです。      「クール・ジャパン!?外国人が見たニッポン」 鴻上尚史

  

青葉の五月に訪れた横浜三渓園に再度足を向けた。キッカケは紅葉の季節に合わせて「聴秋閣」を公開すると知ったからである。聴秋閣は最も印象に残った建造物であったからである。

三渓園は製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓が明治から大正にかけて五万坪強の敷地に京都や鎌倉等から17棟の建造物を移築し造りあげた庭園である。一私人が手に入れられるからには、当時では所謂一級品ではなかったと思われるが、今ではその大半が重文に指定されており、三溪の鑑識眼が伺われる。移築の為土地や歴史と切り離されているが、それぞれの建物ごとに独特の景色を作っており、観光地では味わえない魅力がある。では、案内しましょう。

 

横浜駅東口から市バスに乗り、久し振りの横浜の街並みを楽しみながら約40分で到着。正門を入ると正面の大池越しに紅葉した高台にランドマークの「旧燈明寺三重塔」(重文)が目に入る。

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室町時代建造の京都・木津川市にあったもので寺自身は既に廃寺。移築により関東地方最古の木造の塔として生きながらえている。

 

池に沿って進むと、住まいとして建て多くの文化人や政財界人が出入りした「鶴翔閣」に出会う。

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明治後期建造であるが重厚な茅葺屋根や白壁、そして建物前面の生き生きとした松のコントラストが清々しい。

 

池を前にして雁行型に展開する「臨春閣」(重文)。

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その姿は洗練さでは及ばないが、桂離宮を思わせるものがある。五月には内部公開されており襖絵や欄間の彫刻を心ゆくまで鑑賞出来た。江戸時代初期に初代紀州藩主が紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築である。

 

次は 待望の「聴秋閣」(重文)。

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青葉も良かったが、名前の通りやはり紅葉である。家光が二条城内に建て、後に春日局に賜ったと伝わる。そして、小堀遠州のライバル的存在であった佐久間将監の作と伝わる。この言われを聞くと益々スターマークが増える。今回は内部には入れないが、間近まで寄って内部を眺めることができた。

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書院造りで茶室などに使われていた。奥の低い小窓越しに垣間見える紅葉が目に焼きつく。これだけで来た甲斐があった。

 

隣の「春草盧」(重文)の左端の三畳台目の小間は織田有楽斎の作と伝わる茶室との事。

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茶室内には九つの窓があり"九窓亭"と呼ばれ華やかな茶室らしい。しかし遠目からは一見地味な作りに見え、来訪者の関心が低いようであったが私にはその控えめな佇まいに惹かれた。

 

「蓮華院」 は大正時代の三溪自身の構想による茶室である。

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表からは竹林越しに垣間見え、五月には筍が顔を出していた。裏に回ると寒椿がひっそりと花をつけていた。彩りの少ない時期だけに心温まる。

 

今回のもう一つの 開放は「横笛庵」で、明治後期の草庵風の素朴な茶亭である。高山樗牛の"滝口入道"で知られる横笛の像が建物内に安置されていた事から横笛庵と称されている。外観は別として、内部土間の縦長の開口部に切り取られた紅葉の眺めに暫く見入った。

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他にも見るべきものがあったがここまで。帰路、睡蓮池・蓮池の枯れた蓮の一群を見ていると、次は睡蓮の時期かと期待を持たせる。

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閉園時間が迫ると池の水面に空の紅が映り込む。

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正門近くの木の下で名も知らぬ猫が正座して見送りをしてくれた。

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帰りのバスから見る建物は、最近では見られない彫りの深いファサードが照明で際立ったメリハリを持って浮かび上がる。

 

ところで、先日国士舘大学イラクの遺跡発掘の話を聞いた後、駅への道すがら弱々しい夕陽にキラキラと輝く紅葉に出会った。スマホでの撮影のためか、そのキラキラ感がとらえられなかった。

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