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伊勢河崎商人館

 先々週に引き続き伊勢河崎商人館を紹介する。河崎本通りを進んで行くと道の前方の見通しが利かなくなる。何かの理由で道路がクランクいるが、これがアイストップ効果となりコア施設である商人館へ導かれる。江戸時代創業の酒問屋「小川商店」を市が修復整備し、NPO法人が運営管理している国の登録有形文化財である。成立の基盤である瀬田川に面して蔵を構えた代表的な商家である。

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蔵は現在店舗として活用されている。蔵にしては多くの柱が林立している。その理由を聞くと酒樽を積み上げた時の荷崩れを防ぐ為とのことである。これがうまい具合にテナントへの貸し出し区割りとなり、複数の小規模テナントに貸していながら一体的で開放感のある空間となっている。 

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邸宅部分には京都裏千家の「咄咄斎」の写しの茶室と庭を設え、当時の大店の生活の一端が伺える。しかし、室内はあまりにも整然としており当時の生活の匂いが伺えないのが残念である。

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二階から表通りを見

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邸宅を裏から見る   右側は内蔵

 

邸宅の裏にも倉庫が並び、イベントスペースやまちかど博物館として地域の文化活動を支援している。

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まちなみ広場

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大きく曲がった梁    この発想は何処から

 

 少し離れた蔵は嘗ての川との関係を再現しようと,「川の駅」と称して休日に運行する観光船の船着場となっている。

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河岸は綺麗に改修されているが、防災が主目的となるためか嘗ての舟運の風景を思い起こさせる趣は感じられない。やむを得ない事か。

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全国的に名を馳せた街並みに比して地味であるが、それはそれなりの良さを私は感じた。

 

 

紅葉を愛でる

晩秋、草木が冬枯れを前にして一瞬、紅や黄に燃え上がる。華やかにして寂しさを含むもの。これが紅葉という季語の本意である。     「一億人の季語入門」長谷川櫂

 

外国人は紅葉をどう見ているか

「花を見る」という感覚は理解できても、「秋の紅葉を楽しむ」という感覚は、なかなか理解できないようです。彼らには「花は見るもの、葉は見るものではない」という確固たる分類があるのです。

中略

比較的日本滞在の長い外国人は、「黄緑、黄色、赤」とさまざまな色に変わる秋の葉の風景を綺麗だと思い始める外国人と、どんなに日本にいても葉を愛でることを全く理解できない外国人とに別れます。

   中略    

彼らにすれば、葉はただの植物に「分類」されているのです。「花」とは違うカテゴリーなのです。

「花」に分類されたものは見るもの、「葉」に分類されたものは見ないもの、ということです。日本人のように「葉でも色が変わって綺麗だと思う」という「自分と葉」の関係、つまりは変わっていく山全体の環境を包括的には考えないのです。      「クール・ジャパン!?外国人が見たニッポン」 鴻上尚史

  

青葉の五月に訪れた横浜三渓園に再度足を向けた。キッカケは紅葉の季節に合わせて「聴秋閣」を公開すると知ったからである。聴秋閣は最も印象に残った建造物であったからである。

三渓園は製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家・原三渓が明治から大正にかけて五万坪強の敷地に京都や鎌倉等から17棟の建造物を移築し造りあげた庭園である。一私人が手に入れられるからには、当時では所謂一級品ではなかったと思われるが、今ではその大半が重文に指定されており、三溪の鑑識眼が伺われる。移築の為土地や歴史と切り離されているが、それぞれの建物ごとに独特の景色を作っており、観光地では味わえない魅力がある。では、案内しましょう。

 

横浜駅東口から市バスに乗り、久し振りの横浜の街並みを楽しみながら約40分で到着。正門を入ると正面の大池越しに紅葉した高台にランドマークの「旧燈明寺三重塔」(重文)が目に入る。

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室町時代建造の京都・木津川市にあったもので寺自身は既に廃寺。移築により関東地方最古の木造の塔として生きながらえている。

 

池に沿って進むと、住まいとして建て多くの文化人や政財界人が出入りした「鶴翔閣」に出会う。

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明治後期建造であるが重厚な茅葺屋根や白壁、そして建物前面の生き生きとした松のコントラストが清々しい。

 

池を前にして雁行型に展開する「臨春閣」(重文)。

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その姿は洗練さでは及ばないが、桂離宮を思わせるものがある。五月には内部公開されており襖絵や欄間の彫刻を心ゆくまで鑑賞出来た。江戸時代初期に初代紀州藩主が紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築である。

 

次は 待望の「聴秋閣」(重文)。

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青葉も良かったが、名前の通りやはり紅葉である。家光が二条城内に建て、後に春日局に賜ったと伝わる。そして、小堀遠州のライバル的存在であった佐久間将監の作と伝わる。この言われを聞くと益々スターマークが増える。今回は内部には入れないが、間近まで寄って内部を眺めることができた。

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書院造りで茶室などに使われていた。奥の低い小窓越しに垣間見える紅葉が目に焼きつく。これだけで来た甲斐があった。

 

隣の「春草盧」(重文)の左端の三畳台目の小間は織田有楽斎の作と伝わる茶室との事。

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茶室内には九つの窓があり"九窓亭"と呼ばれ華やかな茶室らしい。しかし遠目からは一見地味な作りに見え、来訪者の関心が低いようであったが私にはその控えめな佇まいに惹かれた。

 

「蓮華院」 は大正時代の三溪自身の構想による茶室である。

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表からは竹林越しに垣間見え、五月には筍が顔を出していた。裏に回ると寒椿がひっそりと花をつけていた。彩りの少ない時期だけに心温まる。

 

今回のもう一つの 開放は「横笛庵」で、明治後期の草庵風の素朴な茶亭である。高山樗牛の"滝口入道"で知られる横笛の像が建物内に安置されていた事から横笛庵と称されている。外観は別として、内部土間の縦長の開口部に切り取られた紅葉の眺めに暫く見入った。

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他にも見るべきものがあったがここまで。帰路、睡蓮池・蓮池の枯れた蓮の一群を見ていると、次は睡蓮の時期かと期待を持たせる。

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閉園時間が迫ると池の水面に空の紅が映り込む。

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正門近くの木の下で名も知らぬ猫が正座して見送りをしてくれた。

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帰りのバスから見る建物は、最近では見られない彫りの深いファサードが照明で際立ったメリハリを持って浮かび上がる。

 

ところで、先日国士舘大学イラクの遺跡発掘の話を聞いた後、駅への道すがら弱々しい夕陽にキラキラと輝く紅葉に出会った。スマホでの撮影のためか、そのキラキラ感がとらえられなかった。

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河崎は、伊勢のまちを支えた「台所」

河崎は、勢田川の水運を活用して伊勢神宮門前町山田・宇治への物資の荷揚げ・問屋・陸送の仲介で16世紀から川の港として栄え、「おかげまいり」の参宮客に物資を供給する「伊勢の台所」として全国に知られた商人町であった。戦後、陸上への輸送手段の転換により徐々に衰退が進んだが、昭和49年の七夕水害を契機に"街並み保存"の動きが生まれ、現在では「NPO法人伊勢河崎まちづくり衆」を主体としたまちづくりが進められている。

方苦しい話はここまで。五月に「熊野古道・伊勢路」を歩くにあたり、出発地である伊勢の情報を収集していた際に「河崎」を見かけ、伊勢神宮は当然ながらそれを陰で支えて来た"まち"を是非見てみたいものと思いスタート前日に訪れた。所が当日の火曜日は定休日の上生憎の雨で、大半の店は閉まり人通りも無く生活のにおいが感じられなかった。そこで今回は伊勢をゴールとし再訪する事とした。注意深く火曜日を外して。

JR伊勢市駅からスマホの案内を頼りに徒歩で15分、河崎本通りに辿り着いた。

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道路沿いに嘗ての威勢や繁栄を伺う縁となる 古い町家や蔵が数多く残されている。店を覗き、まちの人に声をかけながらぶらぶら歩きながら見たこと、聞いたこと、感じたことを私ながらの言葉で紹介する。

昔ながらの姿を残した無国籍料理「河崎2丁目食堂」。地元の人が気軽に立寄る雰囲気の店。

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この通りで最も間口の広い町家「村田邸」 。嘗ては一二を争う大問屋であったのではなかろうか、中には多くのお宝が残されているのではと勝手に空想が広がる。残念ながら現在表は閉じられたままであるが、なんとか街並みの一部として生き返らせてもらいたい。

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居酒屋「虎丸」。石倉をモダンにアレンジしオーナーのセンスを感じさせる。入口が路地を入った所と言う演出が憎い。魚料理の居酒屋で、まちの人に何処かいい所と聞くとこの店を一番に挙げる。夕食をと考えたが、場所柄らしく木製の板に"今日は不漁のため休みます"の表示。残念。

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 脇道を入った所にある店も蔵を使っているが、こちらはイタリアンcafe&バル「町家バル」。準備中で中は見られなかったが、雰囲気のあるイタリアンの店とのこと。和洋のアンバランスのバランスを味わいたかった。

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美容院「コワフュール千代」も町家をリフォームしたもの。初めは何の店か考えこんだ。イメージの不一致がかえって存在を際立たせる。脇道の向かいには嘗ての道標が残されており「すぐさんぐう道」とある。

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乾物屋「大長」は道路の両側に町家と蔵を構える大きな問屋らしいが、この前も今回も表は閉まっており営業継続中なのか不明。扉いっぱいにかかれた屋号が嘗ての威光を誇っているようだ。

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五月訪問の時雨宿りさせてもらった「和」は水曜日が定休日で閉まっていた。自分の趣味で集めた骨董を集め、無料休憩所として場所を提供している。なりわいとしてはどうなのかもう一度会ってじっくりと聴いてみたかった。

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このまちの中心である「伊勢河崎商人館」は改めて紹介する。緩くカーブしていた本通りはここでクランクしており街並み景観にアクセントを与えており、その影響なのか右側の屋根の微妙な変形が気になり後々まで記憶の尾をひく。

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 街並みも「河崎・川の駅」まで。蔵を活用した小さな博物館。前部は道路に合わせて後から付け足したのかここでも屋根の変形が見られる。

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まちを支えた裏側の勢田川に出る。河川の整備によりきれいになっているが、まちと川の関係性が薄れてしまったのは止むをえないとしても残念。

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河崎の町家や蔵の特徴は

・妻入り二階建てー平入りの伊勢神宮に遠慮してとも言われている。本当かな?

・白い破風板に墨を混ぜた魚油を塗った下見板張りの壁ー粋ですね!

・屋根には頂部の飾り瓦と隅の隅蓋ー洒落ている!

 

食事処を聞いた時に二番目にあがったのが川向こうの寿司屋「伊な勢」 。ネーミングがいい。伝統ある民家をそのまま使った趣のある店。少人数相手の為要予約。次の機会に。

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 途中で見た案内図は情報よりも点景としての存在であった。

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思い入れが大きいだけに最後に私なりの勝手な苦言・提言

・鉄道駅から徒歩15分で途上に案内のサインが無く分かりにくい。案内のサインの入ったタイルの敷設等の工夫が必要。

・趣のある建物が残っているが街並みとしての景観インフラの整備(ペイブメント/電柱/サイン等)が追いついていない。

・未利用の建物が多く残っており街並みとしての連担性と生活感を損なっている。(年配者と若年者の将来展望に対する考えの差が埋めがたいとの事) 

 

伊勢市から東京へ

夜行バスで無事バスタ新宿に到着。疲れのせいかトイレ休憩時以外は全くの熟睡。

昨日伊勢市に到着後前回食べ損ねた伊勢うどんを食すべく店を探す。店の人に地元で評判の店を聞くと、親切にも連れて行ってくれた。店の名は「長兵衛」と言って参道から路地に入った所。残念、定休日。所でこの辺りでは路地のことを"世古"と言うらしい。前回泊まったゲストハウスで聞くと別の店を教えてくれたが、参道に面した老夫婦でやっているあまりパッとしない店。テレビのグルメ番組で取り上げられたのが自慢らしく、あちこちに書き散らしている。どこも味は変わらないかとそこで食べたが、疲れた胃に優しい食感で味の方はまあまあであった。

神宮さんにご挨拶をと外宮に向かう。平日にかかわらず大賑わい。地方の団体客が稲刈りも終わったとやって来たのか。本来の信仰心を持ってやって来るのはこういった人達であろう。若い女性のグループも多い。この連中はやたらとあちこちに手をかざして喜んでいる。新しい信仰形態の"パワースポット巡り"であろう。かく言う私は遥拝はそっちのけで建物を見てしきりに感嘆している。

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域内に敷かれた白と黒の石の意味を監視している衛士?に聞くが納得行く説明が得られない。

 

勢田川沿いの古い家並みの「河崎」に向かう。"伊勢の台所"と呼ばれた嘗ての問屋街で豪邸や蔵が残っている。それを生かして若者たちが街並み再生に頑張っている。後日改めて紹介する。

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ラーメンがしきりに食べたくてスマホで検索し、駅近くの「蔵 de ラーメン」なる店を見つけた。名前からチョットとは思ったが、出かけてみるとこれが蔵を利用して各地の味噌を使った味噌ラーメン専門の洒落た店で、味もボリュームも満足できた。

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最後に私なりの簡単な総括。9日間17の峠越えで腰から下はガタガタ。寒さ暑さの変化も激しかった。歳を経るに従っての体力気力の低下を痛感。こうした旅を何時まで続けられるか。

歩行距離          約170km

歩数                 約370,000歩(約40,000歩/日)

最高地点          伯母子岳 1,344m

最大登り下り   果無峠越え  200m↗︎1,114m↘︎100m

 

以上ご同行有難うございました。

 

 

 

 

 

 

紀伊長島から伊勢市へ

 いよいよ最期の歩きで、嘗ての紀伊と伊勢の国境であった「荷坂峠」(242m)を越える。紀伊の殿様の意向はここまで及んでいた。熊野街道本道は「ツヅラト峠」(357m)越えであったが、江戸初期に殿様の領地視察の為なのか、峠越えの楽な荷坂峠が開削され本道となった。世界遺産はツヅラト峠道で殆どの人はそちらを歩く。私は5月に歩いたので今回は荷坂峠を歩いた。登り口手前に花札ならぬ「猪鹿庁」。裏で多くの犬が飼育されていたので、多分農作物被害対策本部に違いない。

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更に進むと至るところでみられるフェンスがのこにもある。設置費の九割は公費が出るそうだ。

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更に進むと立派な猪垣が残っている。

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更に進むと幹に傷が入った松が立っている。鹿が角を研ぎ自分の縄張りとしていると説明書がある。

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「沖見平」と言う展望所があり、今回最後と思われる海の眺めが楽しめた。
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下りの途中で出会った閉鎖中の"ラブホテル"がありメンバー料金の表示があった。
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遂に歩きのゴールである「梅ヶ谷」駅に到着。駅舎もなく只ホームのみの駅である。伊勢市に向かう為2~3時間に一本の電車を一人でぽつんとホームで待つ。
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紀伊長島梅ヶ谷駅  晴れ  7.5km

 

上里から紀伊長島へ

 始神峠登り口まで小一時間柴田さんとお喋りしながら歩く。あれも空き家、これも空き家。店もどんどん閉まる。しかし何故か理髪店は減らないそうだ。小学生も激減。いい話はない。若者は都会が良いのではない。古里には仕事がない。コネがきく公務員や辛い土木作業員くらい。

登り口に住む山口さん老夫婦は自前で休憩所を作りお接待をしており、多くの人や外国人がやって来ると言う。

今日の峠越えは147mの始神峠、113mの三浦峠、73mの一石峠と緩い登り下りのハイキング。途中の海辺の神社で昼食後の昼寝。波の音、潮の香りそして優しい海風。七時間で今日の宿に到着。町中の宿は経営者の老齢化で次々に閉鎖。今日の宿は古道から外れた釣り宿。

 

小辺路」は深い谷と紅葉であったが、「伊勢路」は石畳と海。途中で眺めた海を幾つか紹介する。

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松本峠から七里御浜を望む


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釣り客の集まる賀田の港


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八鬼山さくらの森エリアから


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始神峠より


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古里に向かう遊歩道から


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 紀伊長島魚まち江の浦橋

 

いよいよ明日は最期の歩き。

 

上里~紀伊長島  晴れ  18.0km

尾鷲から上里へ

昨日は「庄次屋」の柴田さんに再開すべく上里に到着したが、又々早く寝込んでしまったので以下昨日分を記す。

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 雨の中のお出迎え

 

久し振りの雨だが昨日でなくてよかった。今日の馬越峠越えは22の行程で昨日の八鬼山

越え63の1/3。濡れた石畳はつるつるでスケートリンク状態。遂に下りで二回転倒してしまった。幸い大事にはいたらなかった。

途中で出会った夜泣き地蔵は良く見ると単なる石である。こう言ったものが信仰の対象になる面白さを感じる。

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距離が短いためゆっくりと歩いたが、昼過ぎには「庄次屋」に到着した。前にも書いたが柴田さんは東京での仕事を終え今は古里にUターンし、地域振興に関わる活動を熱心かつ我慢強行っておられる。しかし土地柄住民の共感が中々得られず苦闘されている。たまたま私と生年が同じこともあり更には前職が同業種であることもあって話が合い色々と意見を求められる次第。ご本人手作りの料理と地酒で3時から四時間余り話し込んだ。

ご自宅は当然ながら総檜作りである。仄かに樹の香りがし気分を落ち着けてくれる。

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今日は書くことが少なく余談となるが、熊野市を朝出発の時自販機で飲み物を買った時「いってらっしゃい」と言ってくれた。そうすると夕方には「お帰りなさい」と言ってくれるのかと試してみたくなる。しかし小さな集落で求めた時は何も言ってくれなかった。田舎では機械も人見知りをするのかとつまらないことを考えたが、田舎では出会う人はちゃんと声をかけてくれる。

 

尾鷲~上里   雨  9.5km