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mugan/国境

 「視えない共和国」(沢木耕太郎ノンフィクションIV「オン・ザ・ボーダー)を読んでいて、最近頻出している国境問題について思いを致した。我が国では国境は全て海の上にあるため、辺境の地に出かけてヴァーチャルな国境を思い浮かべることにより確認する事になる。

私の国境経験ではソヴィエト連邦崩壊前の東西ベルリンのそれが最も印象に残っているが、最近ではサンチャゴ巡礼において別の意味での経験をした。「フランス人の道」でのピレネー山中でのうっかりすると見過ごしてしまいそうな国境の石碑。「ポルトガルの道」では国境の川に架かる鉄道橋脇に張り出したやっと一人が通れるくらいのテラス状の歩道を恐る恐る渡る。「北の道」のスタート地ビスケー湾奥のイルンを西に向かって歩き、街中の普通に見かける橋を渡るとフランス。ここはご存知の西仏を跨ぐバスク地方で今では国境となっているが、隣の国にやってきたとの自覚が感じられない。人や車が日常活動として頻繁に行き来している。

しかし道路標識を見た途端に別の所に国境がある事を思い起こさせられる。標識はスペイン語或いはフランス語とバスク語の両表記である。カタルーニャ地方でも同様に見かけられた。スペインでは国内にヴァーチャルな国境があるようである。 しかし住民は心の中でははっきりとした国境を持っているのであろう。

ちなみに日本国内でも・・・・

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宇宙大の思考

 南方熊楠の生誕150周年を記念して行われた「宇宙大の熊楠」と題したシンポジュウムに出かけた。南方熊楠賞を受賞された明治大学野生の科学研究所所長の「地上の自然」及び占星術研究家の「熊楠の星をめぐって」の基調講演の後パネルディスカッション。事前に危惧していた通り私の理解力を超える内容であった。聴講者の多くは私のような普通の高齢者と見受けられたが、時折あちこちで反応のざわめきが起こっていた。私の見立てでは在京の和歌山県出身者であろうと自らを慰めた。

中途半端ながら南方熊楠に関心を持つようになったのは、熊野古道歩きで最後の宿泊地田辺市南方熊楠邸を訪れたのがきっかけである。晩年の25年を過ごし隣の顕彰館と共に研究、情報発信の拠点となっている。管理されている熊楠さんと縁のある女性の方と暫く話し込んだ。話しているうちに名前は知っていたが、それ以上のことは殆ど知らない。もっと知りたいと思った。

周囲は土塀に囲まれた瀟洒な住宅地である。土塀は古い瓦を土で塗り込めたものであり、古い寺院で見かけるものであったが、どこか雰囲気が違う。奈良や谷中で出会ったものは何らかのデザイン性が感じられたが、ここのものはその気配が感じられない。何となく気になった。

今回、改めて考え"宇宙大の思考"でも潜んでいるのだろうかと変なこじつけをしてみた。

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花の命はみじかくて

 かつて江戸・東京の染色産業の中心であった落合・中井地域で先月末「染の小道」と題するイベントがもようされた。中井駅周辺の店舗の入口には様々なデザインの暖簾が掲げられ、裏道には"和"に関連する小物を扱う出店が並ぶ。産業を支えた妙正寺川には反物がたなびき、水面がうっすらと色付いている。着物姿の男女が古い町並みのラビリンスを行き交う。世情を反映してか多くの外国人の姿が見受けられ、それも着物姿が目につく。

決して華やかなイベントではないが、まち全体の空気が"和"で染め上げられていた。

近傍の「林芙美子記念館」に足を延ばす。著作に「私の生涯で家を建てるなぞとは考えてもみなかったのだけれども、(中略)生涯を住む家となれば、何よりも、愛らしい 美しい家をつくりたいと思った」と述べているが、匠に次々と注文を出し作り上げたとのこと。裏話を含めたボランティアガイドの説明は興味深いものであったが、私にとってはコース外の高台からの眺めが最も印象に残っている。

因みに昭和16年に竣工し終の棲家(昭和26年沒)となったそうだが、現代でも通用するモダンさを感じさせる住宅である。

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君の名は

 先日発表されたサラリーマン川柳100選で「 久しぶり!  聞くに聞けない  君の名は」が目にとまった。ご存知、大ヒットのアニメと高齢化社会を絡ませた他人事とは思えない句である。高齢者にとっては"君の名は"には別の思いもあるが、当時の面影も無い有楽町はバーチャルな"我が聖地"。

ところで私にとっての"君の名は"の舞台はポルトガルでの岩の家で知られたモンサントに向かうバスの乗り換えのまち。バス停の一角に所謂イケメンの男が立っていた。周りの地元の人が私の首に下げたカメラを指差し彼を写せと囃し立てる。話している単語を繋ぎ合わせると「彼はポルトガルのサッカーリーグのスター選手」と言っているらしい。本人の同意を得てカメラを向けるとポーズをとる。いかにもスターといった身構え。乗り換えの慌ただしさもあり名前の確認は出来なかった。翌日、街中で出会った人に写真を見せて何者かと聞いたが、残念ながら知る人は一人もいなかった。今でも写真を見る度に気になり、声には出さないが君の名はと問いかける。ポルトガルのサッカーリーグは一部二部合わせて38チームある。今にして思えば田舎まちの出来事であったので、"おらがまちのスーパースター"であったのかも知れない。

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木漏れ日

 最近「グレートトラバース」を初めとして、"歩き"のTV番組が目白押しであるが、私が一番楽しみにしているのはBSプレミアムの「一本の道」である。アナウンサーが地元のウオーカーとペアでヨーロッパの歴史ある"トレイル"を数日かけて歩き、自然、風景、歴史そして生活について語り合う。私の求めている歩きのスタイルそのもの。

先日は「フランスのグランドキャニオン」と言われるローマ人が開いたヴェルドン渓谷が舞台。なんと映画「禁じられた遊び」の撮影地を通る。途上、路上に展開する頭上の樹木の影に出会い女子アナが"木漏れ日!"と言うと、パートナーがフランス語にはそんな言葉はないと返す。因みにスマホで調べると"filtrage soleil a travers lefeuillage"状況説明である。言葉がないという事はこの現象に反応する感性が無いということか。

木陰の少ないスペインでも北部では同じような現象を目にしたが、明暗のコントラストが強烈で、とてもじゃないが"漏れている"といった風情は感じられなかった。 

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私の「グラスのきらめき」

 スペインにはどんな小さな町や村にもマヨール広場(大広場?)がある。

ある時マドリード南西郊外のチンチョンを訪れた。円形のマヨール広場を底にしたすり鉢状の村で、10分も歩かないうちに村外れに出てしまう。広場は村人達の生活の中心であり、日常は駐車場として利用されているが、ハレの日には闘牛場となり、広場を取り囲む木造三階建ての家のテラスは観客席と化す。

広場に立ち見上げると多くの観光客が飲食を楽しんでおり、カメラを向けるとあちこちからこちらを写せと騒ぎ立てる。歩き疲れてテラスの椅子に腰掛け名物のアニス酒を注文する。セリ科の薬草の種を強いアルコールに成分抽出した40度〜50度のリキュール酒であるが、若干甘みがあるせいか抵抗なく喉を通過する。

 テーブル上のグラスに眼をやると、テーブルクロスの文様が虹色にきらめき、心地よい酔いに痺れた午後のひと時を夢見心地に誘う。

帰路のバス停にたどり着いた頃には、容赦のない強烈な陽射しが壊れかけた私を正常に戻していた。

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旅を語る

多くの旅の本を読んできたが、特に自分の旅を独自の視点で物語ってくれる作家が好きである。ん

ノンフィクション作家"沢木耕太郎"の「深夜特急」は私の一人旅に油を注いだが、今でも何度も読み返している。ドイツ文学者でエッセイストの"池内紀"は国内外のまちをほっつき歩きながら普通のことを興味深く語ってくれる。そして今は亡き建築家でエッセイストの"宮脇檀"は「度々の旅」のまえがきで「旅に行く為にというだけの理由で旅に行く感じが強い」と述べている。

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最近沢木耕太郎の「旅の窓」を読んだ。見開きのページに氏が外国で気まぐれに撮った一枚の写真に400字前後の文章を添えたものである。

"グラスのきらめき"と題して、フランスの小さなまちのカフェでひとりの老人から、おごられた一杯の白ワインにまつわる写真と文があった。

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安物のグラス、白ワイン。冬の陽光による安物風の白いテーブルの上の輝くようなその影。その美しさに思わずカメラを取り出した。ただそれだけのことであるが、その時の光景と沢木さんの心情が伝わってくる。

 

あとがきに

他人からすればどうしてそんなものを撮るのだろうと不思議がられるようなものばかりだが、あの写真たちは私がなぜ撮ったかの「意味」をあたえてあげられたらどうか、と

そして前書きには

しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景のさらに向うに不意にわたしたちの内部の風景が見えてくる事がある。

 

私にも似たような経験があるが、そのことを他人に伝えようとする時、得てして写真を多用し長々とした文章で説明する。沢木さんのように一枚の写真と短い文章で、その情景と心情を伝える事が出来ないものであろうか。